雪景色の能登へ。震災の記憶と復興の歩みをたどる、2日間の「大人の社会科見学」

公開日 / 2026.05.18更新日 / 2026.05.18

2024年1月に発生した地震以降、復興の歩みを進める能登半島。その姿を、現地の方の言葉とともに知ることのできるツアーが、クラブツーリズムで企画・催行されました。

「これからの防災と震災復興への道のり、旅して学ぶ能登半島 大人の社会科見学ツアー」は、被災地を訪ね、能登の“いま”と“これから”を考える2日間のプログラムです。観光でも、ボランティアでもない。まずは“いま”を自分の目で確かめる——。そんな旅のかたちがあることを知りました。

そこに暮らす人々の言葉に耳を傾け、復旧の最前線に触れる中で見えてきた、能登の強さとあたたかさ。一泊二日の旅の様子をお届けします。

現地の方のリアルな声とともに、能登の現在を巡る本ツアー、一泊二日の旅程はこちら。
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【1日目】
・能登空港 /空港職員による復興拠点としての役割、防災の解説
・総持寺祖院/僧侶同行での拝観。震災当時の状況と現在の復興、修復工事の解説
・観光列車「のと里山里海号」/語り部による車窓からの風景紹介と復興状況の解説
・和倉温泉/石川県職員による護岸復旧工事の解説、現場見学
・千里浜温泉郷/宿泊

【2日目】
・白米千枚田/国土交通省職員による震災で隆起した海岸の修復工事の解説
・すずなり食堂/能登のふぐを使った昼食
・聖域の岬/空中展望台や青の洞窟見学
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11:00 能登空港着

羽田空港から直行便で能登空港へ。出発日の東京は、あいにくのお天気でしたが、無事能登空港へ到着。ここから、学びの旅が始まります。

窓の外に広がる雪景色を眺めながら、今回の旅のテーマをあらためて思い返します。能登半島地震から約2年。旅を通して被災した北陸地域に思いを寄せ、応援につなげていく、そんな願いが込められたツアーです。

空港を出ると、看板を手にした能登空港職員の方がお出迎え。集合場所には、復興に向けた取り組みや支援の状況、被災地の現状を伝える掲示が並んでいます。

11:30 空港職員の方による解説

到着後、まずは職員の方による解説から。
能登空港は、日本で初めて行政機関と空港が一体となった施設。道の駅としての機能も併せ持ち、「防災道の駅※」にも指定されています。

※防災道の駅とは、平常時は観光拠点として、災害時は復旧・復興のハブとして機能するよう、国が指定した特別な道の駅のことを指します。

地震が発生した2024年1月1日、職員の方は当日勤務ではなかったものの、コロナ禍が明けた空港の様子を見に訪れていたといいます。そこで、立っていられないほどの激しい揺れに襲われました。
天井から割れたガラスが落ちてきたものの、幸いにも大きなけが人は出なかったそうです。当時の写真が、昼食をとったレストランの壁にも掲示されていました。

滑走路にはひびが入り、停電が発生。設備トラブルで火災が発生し自家発電機は機能せず、災害時も使用できるように井戸水を活用した設計のトイレも、電力が止まったことで十分に機能しませんでした。無線も使えなくなり、パイロットには羽田を経由して連絡を取るなど、緊迫した状況が続いたそうです。

職員の方の話で印象的だったのは、「災害時に一番大事なのはトイレ」という言葉。SNSで「能登空港のトイレが使える」と発信したところ、多くの人が集まり、トイレットペーパーが不足する事態にもなったそうです。

「災害時に何が足りないかは、声を上げないとわかりません。最低3日分の水と食料を備えてください。地震はいつ起きるかわからない。とにかく水と食料、そしてトイレです」
その言葉が、強い重みをもって胸に残りました。

能登半島地震では248人が亡くなり、さらに避難生活や環境の変化による関連死は700人を超えたといいます。その数字の一つひとつの向こう側には、暮らしや日常が存在することを実感しました。
会場では熱心にメモを取るツアー参加者の姿があり、解説後も質問が続きます。ただ話を聞くのではなく、それぞれが“自分ごと”として受け止めているのが印象的でした。

話を聞きながらいただいた昼食は、奥能登の地酒「大江山」の酒粕を使った「酒粕うどん」。能登の名産を旅して味わうことも、私たちにできる応援のひとつなのかもしれません。

12:15 バスに乗車、總持寺祖院へ

話を聞き終え、次の行程へと向かうバスへと乗り込みます。空港の外に出ると、あたり一面は雪景色。能登に来たことを実感しながら、向かうは、「大本山總持寺祖院(だいほんざんそうじじそいん)」での被災見学です。まずは添乗員さんからのご挨拶と行程説明。親しみやすい語り口で、車内の空気が和らぎます。

總持寺祖院までは約30分。やわらかなアナウンスとともに、車内には穏やかな時間が流れます。バスの揺れに身を任せていると、少し緊張していた心も次第にほどけていきました。窓の向こうの白い景色が、次の行程へ向かう気持ちを整えてくれます。

13:00 總持寺祖院着

總持寺祖院に到着。雪に包まれ、凛とした空気が漂う境内。案内してくれるのは、僧侶の高島弘成副監院です。

總持寺祖院は、鎌倉末期に創建された曹洞宗の古刹。現在は能登と横浜市に二つの本山を持ちます。明治期の大火をきっかけに、本山機能は1911(明治44)年に横浜へ移転しましたが、能登の祖院は焼け野原から明治・大正・昭和と長い時間をかけて再建されてきました。そしてコロナ禍が明け、「さあ、これから」というタイミングで起きたのが、能登半島地震でした。

境内に足を踏み入れて、まず目に飛び込んできたのは、地震の衝撃で押しつぶされるように崩れた手水舎の姿。高島副監院のお話によると、境内にある41棟の建物すべてが何らかの被害を受け、そのうち6棟は全壊したといいます。

まず案内されたのは「佛殿(ぶつでん)」。一般のお寺でいう本堂にあたる、祖院の中心となる建物です。ここも地震で大きな被害を受けました。能登半島地震はマグニチュード7.6、最大震度7を観測し、なかでも祖院の門前付近が最大震度を記録。

地震発生時の揺れについて、「これまで経験したことのない揺れだった」と振り返る高島副監院。縦揺れでも横揺れでもない、身体ごと振り回されるような感覚。およそ50秒間続いた激しい揺れに、立っていることすらできなかったそうです。

總持寺祖院の主要建物16棟は、地震が起きた2024年の12月9日に国の重要文化財に指定されました。修復は大規模になる見込みで、佛殿も場合によっては一度分解・解体が必要になる可能性があり、単なる柱の交換では済まない状況だといいます。

佛殿には、幕末に活躍した山岡鉄舟の直筆の言葉が掲げられています。禅語で「鉄の木から枝が出て、石の木に花が咲く」という意味で、ありえないことの例えです。

「けれど、本当に“ありえない”と言い切れるでしょうか」と高島副監院は言います。固定観念にとらわれすぎると、想定外の出来事に向き合えなくなる。大切なのは、目の前の現実を受け止めること——。

地震の際、倒れていた襖を見て、この禅語が胸に沁みたといいます。

復興事業は、2025年2月から少しずつ始まっています。前回の地震からの復興には14年を要しました。今回も、同じくらいの時間が見込まれています。時間の経過とともに建物の木肌は風合いを増し、四季ごとに移ろう庭の色。案内の最後に、高島副監院はこう結びました。

「今日を“ご縁”にして、また訪れていただけたらうれしい。あのときの佛殿はどうなっているだろう、と。変わっていく姿を見守っていただくことが、私たちの力になります」

一度きりではなく、続いていく関わり。復興とは、時間をともに歩むことなのだと感じさせられる締めくくりでした。

13:45 バスに乗車、穴水駅へ

總持寺祖院での見学を終え、バスは次の目的地・穴水駅へ。ここからは観光列車「のと里山里海号」に乗車し、語り部さんの案内とともに、車窓から能登の街並みと当時の様子、復旧の歩みを学びます。白く広がる山々と里の風景を眺めながら、山道を進むこと約20分。穴水駅に到着しました。

14:00 観光列車「のと里山里海号」に乗車

「のと里山里海号」の2号車は、本ツアーの貸切です。33.1kmの沿線を約50分かけて走りながら、資料と照らし合わせつつ、能登の復興の現状を見ていきます。

ポイントに差しかかると、語り部さんがパネルを掲げながら説明してくれます。地震当時、線路は飴のように曲がり、砕石が飛び散って運行できない状態に。復旧工事には、富山県や福井県からも多くの方が駆けつけ、支援にあたったそうです。

のと鉄道が再び走れなくなるのではないか——。そんな不安もあった中、全国から支援の手が差し伸べられて急ピッチで復旧が進み、2024年4月6日、子どもたちの新学期に間に合うよう、全線での運行が再開されたのです。

今こうして望める車窓に広がる日本海の美しい景色は、そのときの賜物。能登の人たちを元気にするボラ漁のための「ボラ待ちやぐら」の姿も見られました。

そして左手に現れたのは、沿線随一のパワースポットといわれる能登鹿島神社。「鳥居は一部壊れてしまいましたが、ご利益は変わりません。ぜひお願いごとをしてください」と語り部さん。

鳥居が正面に見えた瞬間、合図にあわせて車内の皆でかしわ手を打ちました。被害に遭われた方々を思い、そして復興への願いを込めて。

能登中嶋駅を通過する頃、語り部さんが被災当時の体験を語ってくれました。

下から突き上げられるような衝撃。立っていられないほどの揺れが続き、いったん収まったかと思うと、再び強い揺れが襲いました。2020年から群発地震が続いていたとはいえ、これまでに経験したことのない規模。「列車とともに命を落とすかもしれない」と頭をよぎったといいます。

それでも語り部さんは、まず乗客の無事を確認。「必ず助けます」「一緒に逃げましょう」と声をかけ続けました。人数確認の最中、大津波警報発令。乗客全員で高台へ避難するため、山へと続く坂道を必死に駆け上がったといいます。

地震の影響で多くのマンホールが隆起し、津波によって流された場所もありました。水道は止まり、生活インフラは機能しません。切実なトイレの問題は、コロナ禍の影響で多く保管されていたゴミ袋や手袋、消毒液を使い、便器にゴミ袋をかけて取り替える形でしのいだそうです。

列車は田鶴浜駅へ。この地域で行われる「田鶴浜左義長祭り(たづるはまさぎちょうまつり)」では、各家庭で作られた「ご赦免(ごしゃめん)」と呼ばれる飾りを竹に結び付け、焚き上げます。語り部さんが実物の飾りを持って、車内を回って見せてくれました。

このあたりでは、田んぼの広がる風景のなかに白鳥の姿も見られます。地震があっても変わることのない冬の風物詩は、ふっと心に安らぎを届けてくれます。

15:00 和倉温泉駅着、バスに乗車

目的の和倉温泉駅に到着しました。静かな雪景色を眺めながら語り部さんの話を聞いていると、あの日の光景が目に浮かび、この体験を風化させてはいけない……。そんな思いが、静かに広がりました。列車を降りる際、「また必ず来ます」と声をかけるツアー参加者の姿も。そのひと言に、この旅の意味が凝縮されているように感じます。

駅前にはすでにバスが待機。雪深い土地でも移動手段をすべて任せられる安心感があり、身軽な装いのまま行程を巡れるのも、ツアーならではの心強さです。

15:10 和倉温泉街着

10分ほどバスに揺られ、和倉温泉街へ。護岸工事の現場に設けられたプレハブ事務所で、石川県の職員の方から復旧工事の進捗や課題について詳しい説明を受けました。

和倉温泉駅周辺では地震の影響で、波の侵食から地盤を守っていた護岸が大きく崩れました。温泉街にあった21軒の旅館・ホテルは休館を余儀なくされ、にぎわいを見せていた街並みは一時、静まり返ったといいます。

現在は護岸の本格的な復旧工事が進行中。温泉街の営業再開は簡単ではありませんが、少しずつ前に進んでいます。工事では、全国各地から石を集め、海の生態系に配慮しながら整備を行っているとのこと。2028年の全館復活を目標に掲げ、再び多くの人を迎えられる日を目指して歩みを続けています。

単に防災機能を高めるだけでなく、将来の海の環境を守るため、藻が育ちやすい構造にするなど、未来の生き物たちを見据えた取り組みも進められているのだとか。

15:45 バスに乗車、本日の宿へ

解説を聞き終え、この日の行程は終了。
添乗員さんから翌日の行程や朝食時間の案内、おすすめのお土産情報に耳を傾けながら、バスの心地よい揺れに身を任せているうちに、本日の宿がある千里浜温泉郷に到着。夕方17時ごろのチェックインで、学びと移動の疲れをゆっくり癒やすことができました。

宿では能登の食材をふんだんに使った夕食を堪能。館内では天文台スターウォッチングのイベントも開催されていました。その後は温泉へ。雪見露天風呂に身をゆだねると、冷えた身体がゆっくりとほどけていきます。

湯船に浸かっていると、「こういうツアー、よく参加されるんですか?」と同じ参加者の方に声をかけられ、「ひとりではここまで効率よく回れないですよね」と深く頷き合う場面も。旅先ならではの、ささやかな交流もツアーの楽しみのひとつです。

学びと移動で充実した一日。しっかり休息をとり、明日の行程へ向けて気持ちも体もパワーチャージできました。

8:00 2日目開始。バスに乗車、白米千枚田へ

バスに乗り込み、2日目の行程がスタート。目指すのは、能登を代表する景勝地・白米千枚田(しろよねせんまいだ)です。日本で唯一車での走行が可能な砂浜「千里浜ドライブウェイ」を通り、波打ち際を進む特別なルートへ。冬景色がどこまでも広がり、車窓右手には七尾湾、左手にはのと鉄道の線路が続いていきます。

道中では、輪島の仮設住宅の姿も。穏やかな風景のなかに、能登半島地震で被災した現実が静かに残っていました。

10:15 白米千枚田着

石川県輪島市白米町にある棚田・白米千枚田に到着すると、国土交通省職員の方がバスに乗り込み、現地の被災状況について解説してくれました。安全面を考慮し、車内にて説明を受けます。

能登半島地震当日、職員の方々は夜通しで道路状況を確認。現地では道路そのものが崩れ落ち、寸断されている箇所が各地にあり、車が立ち往生。ドライバーは車を置き、徒歩で避難せざるを得なかったといいます。

地震によって海底が約2メートル隆起。陸地となった場所に整備された迂回用の道路を、実際に走行しながら解説を受けました。道路の本格的な復旧は2029年春まで続く予定で、かつて海の底だった場所を走れるのは今だけの貴重な体験です。

震災後、迂回道路は2024年5月に開通。ようやく名舟漁港まで道がつながりました。「道はつながってしまえばあっという間に通れますが、そこに至るまでが長いんです」との言葉が胸に残ります。

能登の現状を伝えるため、職員の方はYouTubeで能登の“いま”を発信しているそうです。最後に参加者から自然と上がった「がんばってください」の声に、静かなエールの気持ちが重なりました。

12:00 昼食

1時間ほど珠洲道路を走り、昼食会場の「すずなり食堂」へ。席に着くと、ふぐ鍋にはすでに火が入り、湯気が立ちのぼっています。ほどなく、ふぐを使った定食をいただきました。

能登はふぐの水揚げでも知られる土地。被災の話を聞いたあとだからこそ、この一膳がより深く味わい深いものに。能登の恵みをこうしていただけることに感謝します。

昼食を終えお土産をのぞいたら、次に向かうのは能登半島最先端に位置する「聖域の岬」。「青の洞窟」や「空中展望台」を有する、能登を代表する景勝地です。

学びが軸の「大人の社会科見学」でありながらも、要所に観光スポットも組み込まれているのがうれしい! 知る時間と、感じる時間。その両方が絶妙なバランスで織り込まれています。

13:30 聖域の岬着

まずは空中展望台へ。海抜約30メートル、海へせり出すように設けられた展望スポットです。足元が透けて見える構造になっており、一歩踏み出した瞬間、視界いっぱいに広がる日本海の青と、真下に迫る断崖のスケールに思わず息をのみます。思わず足がすくんでしまうほどの迫力。

次に訪れたのは、日本三大パワースポットのひとつともいわれる、能登半島最先端の「聖域の岬」。この地に立つと、体がビリビリすると感じる人もいるのだとか。実際に近づくと、じんわりと全身が包まれるような、不思議な感覚がありました。

そしてお待ちかねの「青の洞窟」。天候や波の状況によっては入れないこともあるそうですが、この日は無事にその景色を目にできました。言葉を失って見惚れてしまうほど、幻想的な自然のアート。

ここでは、浜辺で拾った石をお守り代わりに持ち帰ることもできます。思い思いに好みの石を見つけ、旅の記念にと嬉しそうに持ち帰る皆さんの姿が印象的でした。思い思いに好みの石を見つけ、旅の記念にと嬉しそうに持ち帰る皆さんの姿が印象的でした。

14:30 全行程終了、能登空港へ

2日目の行程も、これにて終了。行きと帰りは同じ道のはずなのに、車窓からの景色は左右が逆になるだけで、また違った表情を見せてくれます。

バスの窓からは、たびたび応援の横断幕が目に入りました。「けっぱれ珠洲市」「負けとられん」といった力強い言葉。「ご支援ありがとうございます」と記された看板も。復興への決意と、支え合いへの感謝。その両方が雪景色の中に確かに息づいていました。

空港でお土産を手に取りながら、2日間の行程を静かに振り返ります。能登の食や景色に触れただけでなく、復旧の現場や現地の方々の声を自分の目と耳で確かめた時間。能登の“いま”を知ったからこそ、これからも忘れずに、考え続けていきたい。そう思いながら、帰路につきました。

「立っていることすらできなかった」——。行く先々で何度も耳にした、その言葉の重み。
現地で聞いたのは、メディアでは伝えきれない当時の緊迫や、復旧に向き合う人たちの覚悟。そして、今も続く日々の営みでした。個人で訪れていたら、ここまで“現場の声”に触れることは難しかったでしょう。職員の方や語り部さんの話を組み込んだ行程だからこそ、学びが一本の線としてつながりました。

観光でも、ボランティアでもない。“知ること”を通して向き合う旅。防災のことを考えるきっかけをもらいながら、能登の食や人のあたたかさにも確かに触れられた2日間。

普段は立ち入れない場所や、そこで紡がれる言葉の一つひとつを通し、自分の中の視点が更新されていくのを感じた旅。また季節を変えてあの景色に会いに行きたい、そんな思いが胸に残っています。

次はどんなテーマで、まだ見ぬ世界に触れられるでしょうか。次回の旅の記録も、どうぞお楽しみに。

※本記事で紹介している体験・見学内容は、取材時点の状況に基づくものです。施設の公開範囲や営業時間、料金、ツアー内容は変更となる場合がありますので、最新情報は各施設・公式サイト等をご確認ください。掲載写真は許可を得て撮影したもの、またはイメージ画像です。