クラブツーリズム TOP>「旅の友」Web版【東日本版】> 日本遺産の地に生きる 〜第11回〜
透き通るような白さ、硬さ、そして精緻な絵付けが特徴の日本磁器。そのふるさとが、九州北西部の肥前地域(肥前やきもの圏)です。約400年前に佐賀県有田町で初めて日本磁器が焼かれてから現在まで、窯業文化が築かれてきました。肥前やきもの圏では、青空に向かってそびえる窯元の煙突や赤土色のトンバイ塀など、窯業の町ならではの景観が見られます。
同じ肥前やきもの圏でも町が変わればやきものの特色は千差万別です。庶民の生活に寄り添う器、国を越えて愛された器、そして将軍に献上された器――。個性豊かな肥前の磁器は、まさに百花繚乱。各産地ではそれぞれの伝統を重んじながら、新しいことにも挑み続けています。
「日本遺産」とは、文化庁が認定した日本の文化・伝統を語るストーリー。2019年6月までに83のストーリーが認定されました。
地域の歴史的魅力や特色を国内外へ発信することや地域活性化を目的としています。
江戸時代、肥前国佐賀を領した佐賀藩(鍋島家)は、伊万里市・大川内山に優れた陶工を集めて将軍や大名に献上するやきものづくりをする「御用窯」を築きました。その御用窯の直系の窯元が「鍋島御庭焼」。明治時代の廃藩置県後、佐賀藩の図案帳と家紋「杏葉(ぎょうよう)の紋」の使用を許可された、ただひとつの窯元です。5代目の市川光春(いちかわこうしゅん)さんは、江戸時代からの技法を用いた、全てが手作業の作品づくりを続けています。
緻密な絵付けが特徴の鍋島御庭焼。書き直しができない緊張感の中で、市川さんが大切にしているのは「呼吸を整え、1本1本の線を丁寧に描くこと」。筆圧や筆の角度を一定に保つことで生まれる整った絵には、研ぎ澄まされた感性と高度な技術が凝縮されています。機械化が進むやきもの業界の中で手作業を守り続ける市川さんは、一点物にもこだわっています。同じ図案でもわずかに文様を変えるなどして、手作業ならではの作品づくりもしているとのこと。
かつては献上品としてつくられていた鍋島焼。今はどんな想いでつくっているのかを伺うと、「作品を通じて、鍋島焼の歴史も知ってもらいたい」と話してくれました。現在は後継者への指導もしているという市川さん。その語り口から、受け継がれてきた歴史と伝統技術を守り続けたいという強い思いが感じられました。
鍋島御庭焼 5代目 市川光春さん
有田町の泉山磁石場。日本で初めて磁器の原料となる陶石が見つかりました
有田焼の祖として称えられる朝鮮人陶工・李参平の像
およそ400年前、豊臣秀吉の朝鮮出兵を機に肥前の地に朝鮮人陶工が多数連れてこられました。彼らによってもたらされた技術は、肥前各地に広がっていきます。その朝鮮人陶工のひとり、李参平(りさんぺい)が有田町の泉山で良質な陶石を発見したことから、日本で磁器が製作されるようになったといいます。
それからすぐに、肥前各地で磁器が焼かれるようになります。大川内山や三川内には藩の御用窯が築かれ、高級磁器の生産地に。波佐見では巨大な登り窯がつくられ、大量に生産された磁器が大衆の生活に彩りを添えました。有田町周辺でつくられたやきものは伊万里港を通じてヨーロッパにも輸出され、高い評価を得ました。
九州各地の陶磁器の名品を収蔵展示している美術館。江戸時代初めから幕末までの有田焼を中心に集めた「柴田夫妻コレクション」など、古陶磁の展示も充実しています。
(佐賀県有田町)
有田焼からくりオルゴール時計
平戸藩御用窯時代の名品から現代作家の作品まで、三川内焼の展示を行っている美術館。窯元ごとの紹介や三川内焼の販売も行っています。
(長崎県佐世保市)
三川内焼400人唐子絵大皿(三川内焼美術館所蔵)
日本で磁器が誕生してから約400年。長い歴史を受け継ぐ肥前やきもの圏の窯元は、どのような想いでやきものを製作しているのでしょうか。4軒の窯元を訪ね、お話を伺いました。
幽玄な雰囲気が漂う大川内山は、「秘窯の里」とも呼ばれています
鍋島御庭焼
鍋島御庭焼の制作風景。
呼吸を整えながら線を描きます
かつて佐賀藩の御用窯が築かれ、将軍に献上するためのやきものづくりが行われていた大川内山(佐賀県伊万里市)。三方を山に囲まれたこの地に御用窯が築かれたのは、鍋島焼の技法を外部に流出させないため。さらに町の入り口には番所を設けて厳しい通行制限を行っていたそうです。現在は30軒の窯元が立ち並び、伊万里鍋島焼を製作しています。
今回訪ねたのは、鍋島焼の直系の窯元である「鍋島御庭焼」。5代目の市川光春さんは、江戸時代の鍋島焼について「佐賀藩の権威をかけて鍋島焼がつくられていました」と教えてくれました。関ヶ原の戦い以降、佐賀藩は質の高いやきものを献上し、将軍家との関係を保ってきました。採算を度外視して製作された鍋島焼は、当時の磁器の中で最高の品質を誇ったとのこと。現在も江戸時代と同様に、細かな意匠にも心を込めて製作しているという市川さん。「鍋島の最高の技術をつないでいきたい」との想いも語ってくれました。
有田焼の名窯・源右衛門窯の皿。あえてムラを活かした「濃み」が源右衛門窯の特徴です
源右衛門窯の工房。電灯がなかった時代のなごりで、窓に向かったつくりなんだそう
有田焼は薄くて軽いのに丈夫で、鮮やかな絵付けが目にも楽しい磁器です。中国の陶磁器・景徳鎮(けいとくちん)に比肩する色彩美と様式美がヨーロッパでブームとなりました。現在も有田町には多数の窯元が軒を連ね、伝統を踏襲しながらも時代のニーズに合わせた進化を続けています。
うつわのみならず万年筆の制作など新たな取り組みも
有田町に窯を築いて260年あまりの名窯・源右衛門窯は、線画の内外を藍色の顔料で塗りつぶす「濃み(だみ)」の技術に優れた職人をたくさん抱える窯元。有田では、昔からムラのない「濃み」が評価されてきましたが、源右衛門窯はムラを活かした表現が得意です。力強く生き生きとした「濃み」は、源右衛門窯ならでは。
今日の源右衛門窯は、江戸時代の陶工のこころを受け継ぎながら、新たな試みにも挑戦しています。万年筆や観光列車の洗面器など、表現の場をうつわ以外にも広げています。
絵付けの輪郭線に沿ってムラなく塗りつぶす「濃み」の工程
30本以上の筆を使い分けているそう
唐子絵が描かれたコーヒーカップとソーサー(平戸松山窯の作品)
江戸時代、平戸藩の御用窯が置かれた三川内(長崎県佐世保市)。そこでつくられているのが三川内焼です。
中国の子供を描いた愛らしい「唐子絵」は、三川内焼を代表する絵柄の一つです。卵の殻のように薄い「卵殻手」や透かし彫りなど、繊細な細工も三川内の大きな特徴。陶工たちの究極の技術が見られる、無二のやきものです。
三川内町の奥まった場所にある「平戸松山窯」を訪ねると、出迎えてくれたのは中里月度務さん。平戸松山窯15代目・中里勝歳さんの長男で、三川内焼を代表する作家のひとりです。平戸松山窯の工房を覗くと、文様を描く「線描き」を行っている職人と、線の中を塗りつぶす「濃み」の作業をしている職人が。分業によりそれぞれの技術を極め、上質な作品を生み出しているのです。「三川内焼は大量生産品と異なり、技術で勝負している」と語る中里さん。日々質の向上に努め、現代にマッチした作品づくりに挑んでいます。
Q. 三川内焼の優れた点とは?
A. 細かい線が得意なところです。江戸時代の三川内では、平戸藩お抱えの狩野派の絵師が原画を描き、それを参考に陶工たちが絵付けを行っていました。狩野派の流れを汲んだ三川内焼は、精緻で繊細な作品を生み出しています。
Q. 今後の目標は?
A. 技術などを後世に受け継ぎ、ずっと平戸松山窯が続いていくようにしたいです。欲をもたず、じっくりと作品づくりを続けていきたいですね。
平戸松山窯 中里月度務さん
一真窯ではうつわ1つ1つを手彫りしていました
波佐見町の登り窯。うつわを大量生産するために大きな窯が築かれたそう
輝くような白さが特徴(写真は一真窯の作品)
長崎県波佐見町でつくられる波佐見焼。美しい白磁と、藍色の染付が特徴です。波佐見焼の功績は、高価だった磁器を大量生産可能にし、大衆も使えるようにしたこと。江戸時代から日用食器をつくってきました。現在も、長崎県内最大の窯業地として栄えています。
波佐見町にある一真窯では、約30種類ものカンナを使い分けたデザイン彫りの作品を多数製作しています。代表の真崎善太さんによると、「力の入れ方や彫るスピードなどにより、出来上がった作品の印象は全く異なる」とのこと。焼成前のなま生地(きじ)は割れやすいですが、土の状態を見極めつつ、軽く薄くなるように彫り進めていきます。長年培ってきた経験と技術により、一真窯の美しい白磁が形作られていました。
(上)ギャラリー有田 内観
(左)ご当地グルメ「有田焼五膳」
地元の食材を活かした料理をいただけるカフェレストラン。店内に並ぶ約2000客のカップの中から、好きなカップでコーヒーや紅茶をいただけます。(有田町本町)
インテリアにもこだわりが見える内観
古民家をリノベーションした農家民宿型ゲストハウス。思わず「ただいま」と言いたくなる、どこか懐かしい雰囲気が魅力です。(伊万里市木須町)
料理(一例)
木々に囲まれた小高い丘の上にある日本料理店。身体に優しい水や昔ながらの天然調味料を使った料理が特徴です。ゆったりとしたひとときを楽しめます。(伊万里市木須町)
銘菓「伊万里焼饅頭」
伊万里市をはじめ佐賀県内に3店舗を構える老舗菓子店。店を代表する「伊万里焼饅頭」は、やきものの技法「ひび焼き」をまんじゅう皮に再現し、黄身あんを入れた銘菓です。(伊万里市本町ほか)
陶山神社の鳥居は磁器製。国の登録有形文化財にも指定されています
トンバイ塀
内観
鳥居や狛犬が磁器でできている、陶祖神を祭る陶山神社。窯元や有田町民をはじめ、多くの人から「やきものの神様」として親しまれています。(有田町大樽)
登り窯を築くために用いた耐火レンガの廃材や窯道具などを、赤土で塗り固めて作ったトンバイ塀。有田町内山地区の裏通りで見ることができます。(有田町上幸平)
初代有田町長・江副孫右衛門氏の生家で、大正時代に建築された小路庵。お庭を眺めながら穏やかな時間を過ごせます。(公開日は土・日10:00〜16:00/有田町上幸平)
地元の食材をふんだんに使った「はさみ焼御膳」
波佐見産の食材を使った「はさみ焼御膳」や黒米を使ったカレーを、波佐見焼のうつわでいただける郷土料理店。地元のお母さんたちが迎えてくれます。(「はさみ焼御膳」は2日前までの予約制/波佐見町中尾郷)
(上)店内の様子
(下)外観
1787年創業の老舗。じっくり手をかけた酒づくりをしています。日本酒や焼酎、甘酒など、たくさんのお酒が揃う酒造です。(佐世保市城間町)
内部
実際に使用された道具の展示も
第二次世界大戦中、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕。内部からは、戦時中の様子を伺い知ることができます。(9:00〜17:00まで見学可能/佐世保市城間町)
佐賀県は、国の特別史跡に指定されている吉野ヶ里遺跡や紅葉の名所・九年庵など、日本の歴史を感じられる名所が数多くあります。長崎県は五島列島や壱岐島、対馬など、島が多く美しい自然が魅力の地。そんな見どころの多い佐賀県・長崎県で今回、日本磁器のふるさとといわれる肥前を訪ねました。
お話を伺った窯元の中で、平戸松山窯の中里月度務さんは、20歳から3年間東京・赤坂にある名窯「陶香堂」に修行に出たことがあるそうです。そこで師匠となる方と出会い、やきものづくりの基本や人とのつながりなどを学んだとのこと。現在もその時に出会った方との交流は続いているようで、やきものを通じて広がるつながりに感動しました。取材の中でたくさんの方とお話ししましたが、やきものに対する想いはもちろん、その想いを土地ごとの方言を交え直接聞けたのは貴重な体験でした。佐賀県・長崎県の魅力を再発見する機会にもなりました。
現在放送中の朝のドラマも、信楽焼で知られる滋賀県信楽が舞台。作中では女性陶芸家が活躍しているように、やきものの注目度が高まっています。日本各地にはさまざまなやきものがありますが、柄や素材、手ざわりなど多種多様。自分のお気に入りのやきものを見つけに、ぜひお出かけください。
クラブツーリズム株式会社
マーケティング部
高尾 愛