クラブツーリズム TOP>「旅の友」Web版【東日本版】> 日本遺産の地に生きる 〜第9回〜
今や世界中の多くの人々を魅了する「忍者」。アニメーションや漫画によってその名を広く知られながらも、その実態は謎に包まれています。
そんな忍者の真の姿を垣間見られるのが、忍者発祥の地とされる伊賀(三重県伊賀市)と甲賀(滋賀県甲賀市)。政治の要であった京都・奈良にほど近く、東西交通の要衝でした。山々に囲まれた複雑な地形の只中にあることから、時の有力者が身を隠し、軍事的にも重要だったとされる地です。戦国時代を思わせる中世城館(跡)や忍者たちが修練を行ったであろう山々など、「忍びの里」の面影を色濃く残す景色が私たちを迎えてくれます。
なぜこの地で忍術が発達したのか。忍術とは具体的に何なのか。忍者はどんな場所で修練を積んだのか。そんな疑問に答えをくれるのが、伊賀・甲賀の地。忍びの里には、歴史の影で確かに生きていた、「リアル忍者」たちの足跡がありました。
「日本遺産」とは、文化庁が認定した日本の文化・伝統を語るストーリー。2019年6月までに83のストーリーが認定されました。
地域の歴史的魅力や特色を国内外へ発信することや地域活性化を目的としています。
甲賀忍術研究会の会長である友人の探す忍者が、自分の曾祖父だった……。そんな偶然をきっかけに、忍者の研究に足を踏み入れたという渡辺俊経さん。忍者の魅力の奥深さにのめり込むうち、気付けば甲賀忍術研究会の会長の座を継いでいたのだそう。故郷である滋賀への思いもあって、現在では観光ボランティアガイドとして活躍しています。「甲賀には格別の遺跡もないし、『忍者の活躍の跡』として見せられるものがほとんどありません。あっても、消されているんでしょうね」と笑う渡辺さん。忍者を取り巻くすべては未だ謎に満ち、ゆえに人々を惹きつけてやみません。「甲賀を訪ねてくる人に、忍者が存在したという確かな“実感”を与えたい。私の使命は、人々の想像力を煽って、その先の“リアル”に興味を持ってもらうことです」。
興味の入り口としての観光施設の整備を手伝うなど、日々精力的に取り組む渡辺さん。熱く語る姿からは、“忍者”への深い愛情を感じられました。
忍びの里こうなん観光ボランティアガイドを務める渡辺俊経さん。
甲賀忍術研究会前会長
曾祖父が尾張藩に仕える甲賀忍者だった。
甲賀衆が合議を行ったとされる大鳥神社
忍者の住まいでは、敵の侵入に備えてあらゆる場所に武器が仕込まれた(撮影:甲賀忍術屋敷)
世を忍び、隠密活動や戦闘を行うイメージの強い「忍者」。その真の姿は、驚くべきことに、地域の平和を守る自治組織だったといいます。
戦国時代、伊賀・甲賀の周辺は山が多く、守りやすく攻めにくい地形のためか、大きな力を持った大名が現れませんでした。自らの地を自らの力で治める必要から自治が発達し、お互いに連携して地域を守る組織が作られたのです。
元々は支配者への抵抗運動を行っていた庶民たち。彼らによる自治は、各々が対等であることが重要でした。何事も話し合いのもとで行われる、民主的なルールが成立していたのです。
険しい岩場が連なる飯道山は、近江の大峰山ともいわれ、修験道の山として有名です
「忍の道」と呼ばれる山道を登った「展望岩」からの景色。比叡山と琵琶湖を眺望できます
国の重要文化財にも指定される飯道神社は、修験霊場として知られていました
闘うことだけが目的ではない「忍術」。「和を重んじるための忍耐の心を持ち、他人に気を配り、臨機応変に対処する術(すべ)」という側面も持ちました。人々が共存し、平和に生きるための技術・知識を集めた戦略こそが「忍術」であり、後ろ盾のない環境で生き抜く力に長けた存在が、「忍者」だったのです。
忍者たちがその技と知識を磨いた場所のひとつが、飯道山でした。ほとんどどの宗派にも属さず、広く人を受け入れ、修験道の修行を行ったという山です。
修験道とは、日本古来の山岳信仰が仏教などに取り入れられた日本独特の宗教。山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得ることを目的とします。修験道の実践者を山伏と言い、特に甲賀の人々が、山伏のもとへと子どもたちを修行に送り込んだといいます。山伏は「神学」「剣術」「薬学」「天文学」とあらゆる分野で優れ、幼い頃から励んだこれらの修行が、忍者としての素養に繋がっていたのです。修練を共に積むことで結ばれた深い絆は、忍者同士のネットワーク構築の助けにもなりました。
忍者たちの自治は、天下統一を目指した織田信長や豊臣秀吉などの強大な権力の出現と共に、徐々に衰退。
その一方で、厳しい修行により身に付けた忍者たちの優れた能力は、戦国時代を通じ大変重宝されるようになります。自治を行わなくなった忍者たちは、各地の大名に仕え、活躍するようになったのです。
忍者が活躍した出来事として広く知られているのが、「神君伊賀越え」です。
明智光秀が織田信長を自害へと追い込んだ、京都四条における「本能寺の変」。その際、光秀勢により窮地に立たされた徳川家康を助けたのが、忍者たちでした。
地理に優れた甲賀衆の導きを経て、宇治田原から信楽へ入り、後に甲賀流忍術の中心となった「甲賀五十三家」の一人である多羅尾家に一泊した家康は、その後伊賀者に守られ、本拠地まで無事逃れることに成功。
この功績で多羅尾氏を始めとした忍者たちは非常に評価され、時の権力者たちの信頼をより厚く勝ち得たのです。
伊賀越えの道中護衛で出世した多羅尾氏の役所跡
謎が多く、人々を惹きつけてやまない「忍者」。伊賀・甲賀の地では、忍者の魅力を広く伝えるため、さまざまな施設があります。それらを訪ねるのはもちろん、忍びの里に暮らし、「忍者」の文化を広めようと活動する人々に出会うことも、伊賀・甲賀の地ならではの体験です。
辺りは鈴鹿山麓の原生林に囲まれています
「どんでん返し」を披露してくれた北澤さん
「甲賀の里 忍術村」は、実際に体を動かして忍者の世界を味わえる体験施設。
石垣をよじのぼり、刀を使って白壁を乗り越え、水上歩行の術にも挑戦……など、本格的な修行に身を投じ、忍者になりきることができます。
「“正しい忍者像”なんてものはありません。忍者は、痕跡を残してはいけない存在です。だからこそ、実際に見て、体験して、感じてほしいと思っています」そう語ってくれたのは、「甲賀の里 忍術村」の職員である北澤晃さん。リアルな忍者の魅力を多くの人に伝えていこうと、自ら忍術を用いたパフォーマンスを行うなど、幅広く活動をしています。
忍者の魅力は、奥深く、知れば知るほど、好奇心・知識欲が満たされるところ。そう話す北澤さん、今後は地元住民との協力をさらに広げ、観光に対して新しい取り組みをしていきたいとのこと。現代に残る忍者の隠れ里の、更なる進化から目が離せません。
「甲賀の里 忍術村」職員 北澤晃さん
甲賀流忍者望月氏本家の旧邸である「甲賀流忍術屋敷」。屋敷内に仕掛けられたさまざまなからくりを、見るだけでなく体験することができます。防衛建築としてのからくりの仕組みや、従来の人間離れした「忍者」のイメージを覆すリアルな展示が見どころです。
多くのからくりが施された、江戸時代元禄年間建立の忍術屋敷
忍術伝書の中から主に「密偵術」の部分を大きく扱い、さまざまな民俗資料や術の解説についての展示を中心に行う博物館。展示だけでなく、くの一や忍者によるからくり屋敷の案内や、実物の手裏剣や鎖鎌などを用いた本格的な忍術実演ショーが行われるなど、忍者への理解を深めることができます。
実際の忍具を用いた躍動感溢れる実演は迫力満点
伊賀・甲賀の忍術の集大成とも言える、計22巻の大書「萬川集海(ばんせんしゅうかい)」は、一族の中でのみ継承され、外部には決して見せてはならない秘伝の書。 仁義忠心を守る「正心」を第一に、味方を守る軍法、忍器と呼ばれる道具や火薬の製法など、実践的な内容も記されています。忍者たちの活動の指針となった「萬川集海」は、謎多き忍者の姿を現代に伝えてくれます。
延宝四年(一六七六)に著された忍術の秘伝書、『萬川集海』
Q.萬川集海の22巻にも及ぶ内容のうち、注目すべき点はどこでしょうか
A.「正心の章」でしょう。そもそも盗賊まがいのものから起こった忍びの術ですが、忍術を私利私欲に用いることを強く戒める「正心」を説くことで、忍者独特の倫理観を見出しています。当時広まっていた「武士道」とは異なる価値観を提唱した点に魅力を感じます。
Q.川上さんの思う「忍者」の魅力を教えてください
A.ミステリアスであることです。世界中の人々が魅力を感じるのも、そこに所以があるのではないでしょうか。一人一人忍者についての解釈が異なり、考えがひとつにならない。想像の余地があることは、とても人間的な魅力だと考えています。
川上仁一氏
昭和24年福井県生まれ。甲賀忍之伝を継承する甲賀伴党二十一代宗師家。伊賀流忍者博物館名誉館長を務め、平成23年より三重大学社会連携研究センター特任教授に就任
京人形100体で再現した大名行列
東海道五十三次の精巧なジオラマ
東海道や土山宿の情報発信の拠点施設。古い町並みの景観を活かした建て物の中では、東海道や宿・伝馬制度をテーマにした展示を行っています。(甲賀市土山町)
野洲川の上流に位置する青土(おおづち)ダムは、四角形と半円形の洪水吐が上下2段になっている、非常に珍しい形。下方の半円形状の洪水吐から流れ落ちる白糸のような水流が美しく、ダムファンに根強い人気があります。(甲賀市土山町)
外観(上)
伊賀牛は、その生産量が圧倒的に少ないことから「幻の牛」とも呼ばれます(左)
自家牧場で子牛から丹念に育てあげた伊賀牛のみを提供する、地元で長く愛される老舗。こだわりの伊賀牛は、併設する精肉店での販売も行っています。
(伊賀市上野車坂町)
野洲川の畔に位置し、四季折々の風情を楽しめます
甲賀の四季を感じられる、閑静な佳宿。10部屋と限られた客室で、ゆっくりと寛ぐことができます。地元の食材と旬を生かした料理や、とろりとした肌ざわりが特徴の大河原温泉が自慢です。
温泉は日帰り入浴も可能です
地産地消にこだわった滋賀ならではの味覚
「日本遺産」を旅する方に正確に「リアル忍者」をお伝えすることは難しい。なぜならば「実態=リアルがないから忍者」であるからだ。昔、流行った「ネッシー」と一緒で「残像」だけが歴史に残っている忍者……。でも「ネッシー」と違い間違いなく歴史上存在し、例えば東京メトロの「半蔵門」駅のように歴史に名前が残る「忍者」もいる。このミステリアスな存在こそが「忍者」の魅力なのかも知れない。
今回の取材を通じて二通りの忍者が存在すると感じた。一つは我々が一般的に知っている『忍』。刃:ヤエバの下に心を置くという、スパイ(情報を収集し、雇い主に忠誠を尽くす)だ。「忍び:シノビ」の活躍する様は、伊賀・甲賀で鍛錬された「武器や戦闘のパフォーマンス」を披露してくれる「リアル忍者」によって垣間見ることができた。
今回知ったもう一つのリアル忍者は、領主に管理されないエリアの「村の長:オサ」たちが広域連携をして、得意な分野(薬学・科学・戦闘術等)を出し合い協力協働して地域の維持発展を自主統治した、いわば「自主国家の主体としての『忍者』だ。驚くべきは、室町時代という封建制の時代から伊賀・甲賀も一人一票制の合同協議制で地域社会が運営され、「地域戦略家」として「忍び=リアル忍者」が存在したという歴史的事実である。
いずれにしても、このわずかな紙面では「実態がない忍者」を語れるはずもなく、是非、各々の感性で「姿なき忍者」をとらえて頂きたい。伊賀・甲賀の旅はそういった意味では最高難度の「ミステリーツアー」の聖地なのかもしれない。あなたも闇に忍ぶ、あなたの忍者を見つけてください。
クラブツーリズム株式会社
地域交流部 顧問
宮本茂樹