クラブツーリズム TOP「旅の友」Web版【東日本版】日本遺産の地に生きる 〜第8回〜

日本遺産の地に生きる

日本遺産STORY

豊かな森林に恵まれた飛騨地方では、古くからこれを利用する木工技術が発達し、「飛騨匠(ひだのたくみ)」と呼ばれるすぐれた技術を持つ職人を多く輩出してきました。約1300年前の奈良時代には、税(庸・調)を免除する代わりに、木工技術者を都へ派遣させる仕組みが確立されます。これは全国でも飛騨国だけに定められた特別な制度でした。

鎌倉時代にこの制度が消滅した後も、彼らの伝統と技術は脈々と受け継がれていきます。今も各地に残る寺社建築をはじめ、優れた匠の民家建築や伝統工芸、絢爛豪華な高山祭の屋台に、縄文の昔から続く飛騨匠の技・こころを見ることができるでしょう。

「日本遺産」とは、文化庁が認定した日本文化・伝統を語るストーリー。2019年6月までに83のストーリーが認定されました。

地域の歴史的魅力や特色を国内外へ発信することや地域活性化を目的としています。

飛騨匠について40年以上にわたり研究を続ける田中彰さんは「飛騨の山の豊かさを生かすべく、飛騨匠たちは縄文の昔からさまざまな技術を培い、その技を後世へと伝えてきました。このことは日本のものづくりの原点になっているといえるかもしれません」と話します。

飛騨匠の木を生かす技と心は、建築分野にとどまらずさまざまな分野へと広がっていきます。木目の美しさを生かした飛騨春慶や一位一刀彫などの伝統工芸もそのひとつ。それら建築・彫刻・塗の技術はもちろん、飾金具・鍛冶など飛騨の職人の技術を結集して作られたのが高山祭の屋台といえるでしょう。

研究を重ねるほど「職人ひとりひとりが『自分が一番良いものを作る』というプライドをもって仕事をしていたことがわかります」と語る田中さん。匠の技とこころは現代にもしっかりと引き継がれています。

高山市史編纂専門員 田中彰さん

高山市史編纂専門員 田中彰さん

今も残る飛騨匠の流れをくんだ寺院建築
飛騨の地に残る唯一の塔建築、飛騨国分寺・三重塔。もとは七重の塔だったものが火災や暴風雨による倒壊で、現存する状態に再建したのは江戸時代後半。当時高山の有名な大工一門のひとつだった「水間一門」によって建築されました

飛騨の地に残る唯一の塔建築、飛騨国分寺・三重塔。もとは七重の塔だったものが火災や暴風雨による倒壊で、現存する状態に再建したのは江戸時代後半。当時高山の有名な大工一門のひとつだった「水間一門」によって建築されました

飛騨国分寺の本堂に安置されている木像・木鶴大明神像。古くから高山の大工に崇められていました

飛騨国分寺の本堂に安置されている木像・木鶴大明神像。古くから高山の大工に崇められていました

室町時代中期に建てられたと伝わる飛騨国分寺・本堂。飛騨屈指の古刹にふさわしい独特な雰囲気があります

室町時代中期に建てられたと伝わる飛騨国分寺・本堂。飛騨屈指の古刹にふさわしい独特な雰囲気があります

飛騨国分寺塔跡。玉垣で囲われた塔心礎石は奈良時代の創建当時のものと推測されます

飛騨国分寺塔跡。玉垣で囲われた塔心礎石は奈良時代の創建当時のものと推測されます

 飛騨匠が手がけたとされる建造物は全国に点在します。平城京、平安京などの宮殿のほか、法隆寺や東大寺、西大寺(奈良市)、石山寺、西明寺(ともに滋賀県)などの造営に、飛騨匠が卓越した技術を発揮した記録が残っています。

 飛騨の地にも、安国寺や法華寺など匠が手がけてきた各時代の建造物が残されています。なかでも西暦746年に創建された飛騨国分寺には、各時代の建造物があり、飛騨匠の技術の歴史を垣間見ることができます。

名城 高山城ゆかりの建築物

 飛騨匠たちが戦国後期から江戸初期まで16年の歳月をかけて造り上げた高山城は、当時の地誌にも「城郭の構え、およそ日本国中に五つともこれ無き見事なるよき城地」と記されるほどの名城でした。1695年に城は取り壊されますが、それ以前に高山城から移築された建物が高山市街東側の山裾にある「東山寺院群」に残されています。

高山城の黄雲閣を移築改修したといわれる雲龍寺鐘楼門。ゆるやかな屋根の造りと宝珠、バランスのとれた柱配置が特徴のひとつです

高山城の黄雲閣を移築改修したといわれる雲龍寺鐘楼門。ゆるやかな屋根の造りと宝珠、バランスのとれた柱配置が特徴のひとつです

城内の月見殿を移築した神明神社絵馬殿。大きな面取りをした角柱、曲線の美しい舟形の肘木など、飛騨匠の高度な技術がうかがえます

城内の月見殿を移築した神明神社絵馬殿。大きな面取りをした角柱、曲線の美しい舟形の肘木など、飛騨匠の高度な技術がうかがえます

飛騨匠の技とこころの集大成、高山祭の屋台

 大工や彫刻、漆をはじめ、飛騨匠の高い技術を結集して造られたのが高山祭の屋台です。秋祭りの神楽台は1708年に登場した記録があり、他の町内(組)でも屋台が作られていきました。屋台の形状は江戸型の山車が祖形となり、上方で使われる装飾類やからくり人形を取り入れたもので、東西両文化の流れを汲んだものが時代とともに高山独自のものへと変化していきました。

 屋台は縦長のつくりで、全体的に華やかさのなかにも落ち着いた奥ゆかしさを感じることができます。

秋の高山祭の神楽台。上段に配置する花(写真左)の部分は極彩色で、獅子(右)は彩色が施されていません

屋台行列の先頭で囃子を奏でる秋祭りの神楽台。上段には大太鼓と、前後に総飾りを施した鳳凰一対が鎮座しています

 秋の高山祭で使われる屋台のうち4台を、年3回入れ替えて展示しています。祭りのときには見物客で混んでいてなかなか見ることが難しい屋台の細やかな装飾類や彫刻など、匠の力作をじっくりと鑑賞することができます。

絢爛豪華な屋台を高い目線からも見物することができます

絢爛豪華な屋台を高い目線からも見物することができます

木の美しさを生かす飛騨の伝統工芸

木の美しさを生かす匠の技は、江戸時代になると寺院建築から民家建築や伝統工芸の分野へと広がっていきます。一位(イチイ)の木を使って彫りあげる一位一刀彫や、木の自然な美しさを生かすために透き漆を何層にも塗って仕上げる飛騨春慶は、匠によって生み出された高山の伝統工芸です。

一位一刀彫

江戸時代後期の高山の根付彫刻師、松田亮長(すけなが)により生み出されました。一位の木の白太(辺材)、赤太(心材)の色合いと美しい木目を生かし、彩色を施さない仕上げが作品の特徴です。「一刀彫の名の通り、一彫り一彫りに心を込めて彫り上げることを大切にしています」と語る津田彫刻六代目彫師の津田亮友さん。創業1843年より続く伝統を継承しつつ、新たな作品にもチャレンジしています。

兄弟で伝統工芸士に認定されている兄の津田亮友さん(左)と弟・亮佳さん(右)

店頭に並ぶ作品の一部。伝統を継承しつつ、新しい創作への挑戦も行っています

木地を作る木地師と漆を塗る塗師の二人三脚で作られる飛騨春慶。他地区の漆塗製品が木地を隠し蒔絵などで豪華さを演出するのに対し、飛騨春慶は美しい木目を生かすことにこだわり、透き漆を塗って仕上げます。木の性質を見極めその美しさを引き出す技術は、まさに飛騨匠の精神に通じるものがあります。

古く西洋から伝わった「曲げ木」の技術と、飛騨匠の流れをくむ技術が融合して生まれた飛騨の家具。職人たちは試行錯誤を繰り返し、モダンな椅子を作り出します。日本の食事風景が「ダイニングテーブル+椅子」へと移行する時代の後押しもあり、飛騨の家具は高級家具の産地として確固たる地位を築いています。

時計などモダンな作品も店頭に並びます
(写真は山田春慶店)

現代的な椅子には高度な曲げ木処理も
(撮影協力:nissinショールーム)

編集部のおすすめスポット

匠の技術が垣間見える 飛騨古川の町並み

 約千匹の大きな鯉が泳ぐ瀬戸川沿いに白壁土蔵の町並みが続く飛騨古川。この地にも飛騨匠の残した技や伝統が残っています。飛騨の匠文化館では、匠の技術を体感できる木組みパズルや、さまざまな継ぎ手や組み木の解説、実際に職人が使用する道具の展示など、匠の技を身近に感じることができます。

飛騨の匠文化館

飛騨匠の技術で、釘を使わずに木と木を組み合わせる「継ぎ手」の方法の説明も聞くことができます

飛騨匠の技術で、釘を使わずに木と木を組み合わせる「継ぎ手」の方法の説明も聞くことができます

角材の組み合わせに工夫を施した飛騨の匠の伝統技法の一つ「千鳥格子」の仕組みをパズルで体感できます

角材の組み合わせに工夫を施した飛騨の匠の伝統技法の一つ「千鳥格子」の仕組みをパズルで体感できます

高山とはひと味違う風情を感じる飛騨古川の町並み

高山とはひと味違う風情を感じる飛騨古川の町並み

古川まつり会館

毎年4月19・20日の2日間気多若宮神社の例祭・古川祭。「天下の奇祭」と称され400年以上の歴史を誇ります。ここでは現存する9基の屋台の一部を、持ち回りで展示しています

毎年4月19・20日に行われる気多若宮神社の例祭・古川祭。「天下の奇祭」と称され400年以上の歴史を誇ります。ここでは現存する9基の屋台の一部を、持ち回りで展示しています

三嶋和ろうそく店

240年以上続く、全国でも珍しい「手作り和ろうそく」の老舗、三嶋和ろうそく店。100%植物性の原料を使っているため、ススがでにくく風が吹いても消えにくいのが特徴です

240年以上続く、全国でも珍しい「手作り和ろうそく」の老舗、三嶋和ろうそく店。100%植物性の原料を使っているため、ススが出にくく風が吹いても消えにくいのが特徴です

創業160年余の老舗 飛騨古川に佇む名料亭

八代目若女将 池田理佳子さん

八代目若女将 池田理佳子さん

 江戸末期安政年間に富山の八尾から移ってきて、旅館を始めたことがその名の由来という老舗料亭。宮大工が建てた明治38年の建物部分「招月楼」は国指定登録有形文化財に指定されています。「飛騨牛や新名物の淡水養殖の飛騨トラフグ、神岡町、高原川の鮎など、旬の食材を使った料理をご用意しています」と話す八代目若女将の池田理佳子さん。和の趣を感じながら優雅な時間をお楽しみください。

子持ち鮎の塩焼き

子持ち鮎の塩焼き

トラフグなどのお造り

トラフグなどのお造り

飛騨生まれの新感覚アクティビティ レールマウンテンバイク Gattan Go!!

 廃線になった旧神岡鉄道の一部区間の線路上を、レールから外れないように繋がれた2台1組のマウンテンバイクで進みます。奥飛騨温泉口駅から神岡鉱山前駅までの往復約6qの道のりを行く「まちなかコース」に加え、2018年春には高原川の渓谷沿いの絶景を走る「渓谷コース」もスタート。ペダルをこいで進みますが、アップダウンも比較的少なく、電動補助も付いているので体力に自信のない方もOKです。レールの継ぎ目を通るたび「ガッタンゴットン」と響く独特な感覚をぜひ体感してみてください。

高原川に架る鉄橋やトンネルをスリルたっぷりに通り抜けます

高原川に架る鉄橋やトンネルをスリルたっぷりに通り抜けます

飛騨高山・奥飛騨ツアー特集

飛騨匠の技・こころ 木とともに、今に引き継ぐ1300年

 高山は年間400万人を超える観光客が訪れる人気の観光地で、近年は外国人観光客も増加しています。皆様も一度は訪問されたことがあるのではないでしょうか。

 高山というと、出格子の町家が軒を連ねる古い町並みや朝市などが定番スポットですが、平成28年、日本遺産に認定された「飛騨匠(ひだのたくみ)」という視点でめぐってみると、今まで気が付かなかった街の歴史的魅力や特色に気付きます。

 飛騨匠の活動の一大拠点であった国府盆地の中世社寺建築群や、飛騨匠によって建てられた高山城の建物を移築した寺院が残る東山寺町を歩けば、飛騨匠の高い技術を目にすることができます。また、飛騨春慶や一位一刀彫などの伝統工芸、高山祭の屋台を飾る銘木の杢(もく)を活かした彫刻、現代の飛騨の家具にも、時代とともに変化し、芸術に昇華された飛騨匠の技や心が息づいていることに気付きます。

 匠たちの知見をもとに、古代からの豊かな森林資源や建築物を大切にしている人々に育まれた、木とともに生きる高山の歴史と文化を感じる旅に、ぜひお出かけください。

クラブツーリズム株式会社
マーケティング部 古川優子

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