クラブツーリズム TOP「旅の友」Web版【東日本版】日本遺産の地に生きる 〜第7回〜

日本遺産の地に生きる

日本遺産STORY

京都府北部の丹後地方を訪ねると、どこからか聞こえてくるガチャガチャという機織りの音。「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど、秋から冬にかけての丹後は雨や雪の日が多い土地です。その湿潤な気候が、乾燥を嫌う絹織物の生産に適していました。

古代から絹織物の産地として知られていた丹後地方ですが、江戸時代、京都西陣で絹織物「お召ちりめん」が開発されると、丹後産の絹織物は売れ行きが減少。凶作も重なり、人々は危機に直面しました。そうした中、峰山(京丹後市)の絹屋佐平治(さへいじ)や加悦(かや/与謝野町)の木綿屋六右衛門(ろくえもん)らが、京都西陣のちりめん織りの技術を習得。友禅染の素材に適した白生地のちりめんが、瞬く間に丹後地域全体で織られるようになりました。

しなやかな風合いを持ち、染色性に優れたちりめんの需要は、友禅染の大流行とともに拡大。丹後はちりめんの一大産地として急速に発展します。細やかな凹凸を持つ白生地は、地域の人々の生活を支え、歴史や文化に大きな影響を与えました。

300年という時を超え、紡がれてきた丹後ちりめん。往時の繁栄を物語る建物や祭礼行事が今に伝わるとともに、優れた織りの技術は現代に受け継がれ、気鋭の織元たちによる新たな取り組みが始まっています。

「日本遺産」とは、文化庁が認定した日本の文化・伝統を語るストーリー。2019年6月までに83のストーリーが認定されました。

地域の歴史的魅力や特色を国内外へ発信することや地域活性化を目的としています。

世界に誇れる日本の技術と後世への想い

「白生地が無くなることは着物が無くなることであり、日本の文化が無くなるということです」と話す丹後ちりめんの織元、田勇機業の田茂井勇人さん。この地に生まれ育った田茂井さんにとって、ちりめん織りは特別な物ではなかったといいます。「世界に出て、世界の人から丹後ちりめんの評価を聞いて、すごい技術なのだということを感じました」。経糸(たていと)に、撚りをかけた緯糸(よこいと)を織り込み、シボとよばれる細かな凹凸を持つ生地を作っていくちりめん織り。撚り方や織り込み方によって、さまざまな質感、模様の生地ができます。「若い人(職人)たちには、丹後ちりめんを面白がって作ってほしい」と話す田茂井さん。積み重ねられてきた技術と、好奇心や探究心が融合すれば、丹後ちりめんの新たな時代が見えてきます。「日本の文化の裾野を支えている仕事。世界に誇れる技術を、次の世代に引き継いでいきたいです」。

田勇機業株式会社 代表取締役社長 田茂井勇人さん

田勇機業株式会社
代表取締役社長 田茂井勇人さん

絹の光沢を引き立たせる丹後ちりめんの「シボ」
田勇機業の工場内にある機織り機。現在は、ジャカード織と呼ばれる柄の入った絹織物が主流です。

田勇機業の工場内にある機織り機。現在は、ジャカード織と呼ばれる柄の入った絹織物が主流です。

丹後ちりめんの特徴は、生地の全面を覆う「シボ」と呼ばれる細かな凹凸。この凹凸が絹の光沢を際立たせ、しなやかな風合いと深みのある染め色を生み出すのです。織物の幅に整えられた経糸(たていと)に、1mあたり3000〜4000回もの撚りをかけた緯糸(よこいと)を織り込み、美しい模様の生地に仕上げていく丹後ちりめん。糸の撚り方や織り込み方で、シボの高さの異なるさまざまな表情の生地ができあがります。

明治期に紋織り装置のジャカード機が導入されると、生地に複雑な模様を織り込んだ紋ちりめんが普及します。立体感のある紋ちりめんの人気は高く、現在では丹後で生産されるちりめんの7割以上がジャカード機を使った紋ちりめんだそうです。

繭(まゆ)1個の繭から取れる生糸は約1200m。一反に約3000個の繭が必要です。

生糸製糸工場で加工された生糸を仕入れます。

糸繰り生糸を糸わくに巻き取ります。重要な工程で、熟練された技術が要求されます。

整経経糸(たていと)を織り機に仕掛けるための作業。わくに巻き取った糸を、一定の張力と長さで整え、織物の幅に必要な数にしてビームという道具に巻き上げます。この作業で生地の幅と経糸の密度が決まります。

撚糸(ねんし)緯糸(よこいと)に撚りをかける作業。丹後独特の八丁撚糸機で、強い撚りをかけてシボのもとを作ります。

製織(機織り)整経された経糸と撚りをかけた緯糸を織機にかけ、生地を織り出します。紋ちりめんの場合は、ジャカード機を用いてさまざまな模様を描いていきます。

精錬織り上がったちりめんのセリシン(ニカワ質)や汚れを洗い流します。この作業を経て、独特の風合いを持つやわらかなちりめんとなります。

検査・染色白生地ちりめんを一反ずつ検査します。検査を済ませた製品は、友禅染や絞り染め、ろうけつ染めなどの染め加工が施されます。

織り機にかける前に経糸を整える「整経」のようす

織り機にかける前に経糸を整える「整経」のようす

水で濡らして緯糸に撚りをかける八丁撚糸機

水で濡らして緯糸に撚りをかける八丁撚糸機

工場内に並ぶ機織り機。美しい模様を織り出します

工場内に並ぶ機織り機。美しい模様を織り出します

「丹後松島」近くの袖志集落でも、漁業や農業を営む傍ら、丹後ちりめんが織られていました

「丹後松島」近くの袖志集落でも、漁業や農業を営む傍ら、丹後ちりめんが織られていました

美しい風合いの丹後ちりめん。京丹後市の掛津地区では、古い着物をちりめん暖簾にリメイクし、町を華やかに飾る取り組みも始まっています

美しい風合いの丹後ちりめん。京丹後市の掛津地区では、古い着物をちりめん暖簾にリメイクし、町を華やかに飾る取り組みも始まっています

織りの聖地〜ここで生まれ育った文化と食〜
京丹後市峰山町

【京丹後市峰山町】丹後ちりめんの製造・販売を行う吉村商店の峰山支店にて。「ちりめんは端切れでも捨てられない」と話す支店長の吉岡均さん(写真一番右)の瞳から、「日本文化」の商いとしての信念が伝わってきました。

丹後ちりめんの主な生産地は3つ。「京丹後市」は現在も織物工場が残り、典型的な機屋の街並みが広がっています。幕末まで生産地として栄えていた「宮津市」は、京都への出荷の物流拠点でもありました。また「与謝野町」も明治から昭和に丹後と京都を結ぶ物流拠点となっており、昭和初期の織物工場や機屋の街並みが残されています。

宮津市

【宮津市】江戸時代に酒造業・廻船業・糸問屋などを営んでいた「旧三上家住宅」。美しい白壁造りの外観など、趣向を凝らした邸宅です。

京丹後市

【京丹後市】広大な境内に社殿が建立された「金刀比羅神社」。拝殿前の建物の中では、豪華な祭の様子が描かれた絵図を見ることができます。

全国でめずらしい守り神のいる神社【京丹後市】金刀比羅神社・木島神社

「狛猫(こまねこ)」アッ
「狛猫(こまねこ)」ウン

向かって左のネコは「アッ」と口を開け子猫を抱いており、右のネコは「ウン」と口を閉じています

 金刀比羅神社の中にある「木島神社」には、全国でもめずらしい「狛猫(こまねこ)」が存在しています。ちりめんの材料に欠かせない生糸は繭から作られますが、繭や蚕を食い荒らすネズミの被害に悩まされていました。そこでネコにネズミを追い払ってもらい、大事な繭や蚕を守っていたのです。

大量に生産された丹後ちりめんは、ちりめん商人たちの手によって全国に運ばれていきました。そんな商人たちをもてなすために作られたのが、丹後の郷土料理「ばら寿司」。鯖のおぼろをはじめとする数種類の具材に、当時貴重だった砂糖としょうゆをふんだんに使用した見た目も鮮やかな料理です。写真は「プラザホテル吉翠苑」の狛猫ばらずし(イメージ)。

「プラザホテル吉翠苑」の狛猫ばらずし

当時ちりめん商人たちが泊まったとされる各地の旅館では、料理人が地元の食材で腕を振るいました。現在も宮津には旅館が多く残り、丹後の新鮮な魚介類や季節の野菜を使用した料理は、昔から変わらず訪れる人々を楽しませています。写真は旅館「茶六別館」の、食事処「四季膳花の」の料理(イメージ)。日帰りで、楽しむことができます。

食事処「四季膳花の」の料理
ちりめんの技術で未来に挑戦する人たち

デジタルを取り入れ、斬新なアイデアで挑戦 柴田織物・柴田祐史さん

 与謝野町にある、丹後縫取ちりめんの織元「柴田織物」さん。丹後縫取ちりめんとは、シルクベースにラメ糸や色糸で文様を織込んだ後染めの織物のことを指します。デザインから製造まですべて手がけるのは、日本でも10社ほどしかないそうです。

 「大学卒業後は、電気メーカーで設計をやっていました。」という代表の柴田祐史さん。ちりめんの生地に柄を入れる作業をデータ化し、織機に読み込ませて織っていくことで分業制だった工程も自社で一からできるようになったと言います。「フルオーダーで仕立てることができるため個人からの依頼も多いんです」。

 柄のデザインもパソコンを使い、自分で考えるという柴田さん。自ら設計したという電子基盤をモチーフにした生地を見せてくれました。

「ラメ糸や色糸を使うので見る角度や反射によって色が変わるのが面白いです。こういったシンプルだけど凝ったものを作っていきたいですね」。

自らデザインした着物を着て、工房の前に立つ柴田祐史さん。着物がとてもお似合いです

自らデザインした着物を着て、工房の前に立つ柴田祐史さん。着物がとてもお似合いです

電子基盤をモチーフにした丹後ちりめんの生地

電子基盤をモチーフにした丹後ちりめんの生地

ちりめんの技術を“ニット”に生かす挑戦 コウジュササキ・佐々木貴昭さん

 与謝野町・加悦にある、ちりめん街道。その一角にオリジナルのシルクニットの製造・販売を行う「前蔵工房 コウジュササキ」はあります。

 元々、丹後ちりめんの白生地を製造していたと話す佐々木貴昭さん。「30年ほど前に父が白生地の製造をやめ、撚糸に使っていた機械を使ってニット用の糸を作り始めたのです」。やがて跡を継いだ佐々木さん。洋服の種類や着る季節によって糸の撚り方・加工方法を変える。編み上げた後、実際に着てみて違うと判断すれば一からやり直す。苦労を重ね、独自の撚りで作った糸で、洋服を完成させていきました。

 あるとき、バイヤーの方からこんなことを言われたそうです。「帯を作ってみないか」。そこで男性用の角帯を作ってみたところ、同業者の方から少しずつ普及していったそうです。ニットの特徴でもある伸縮性が、実は着物の帯にぴったりなのだとか。「ゆくゆくはニットの帯の市場を作っていきたいです」。

 丹後ちりめんの技術が西洋の服に繋がりそして日本の文化である着物の帯に繋がる。佐々木さんの挑戦はこれからも続きます。

コウジュササキ・佐々木貴昭さん。撚り方や色の違いで、作った糸の種類は300色以上に上るといいます

コウジュササキ・佐々木貴昭さん。撚り方や色の違いで、作った糸の種類は300色以上に上るといいます

独自の糸で編まれたニットの角帯(男性用の着物の帯)

独自の糸で編まれたニットの角帯(男性用の着物の帯)

踏み歩くと「キュッキュッ」と音がする「鳴砂」で有名な琴引浜(京丹後市)。近くには「琴引浜鳴き砂文化館」もあり、鳴砂について学ぶことができます

踏み歩くと「キュッキュッ」と音がする「鳴砂」で有名な琴引浜(京丹後市)。近くには「琴引浜鳴き砂文化館」もあり、鳴砂について学ぶことができます

山陰海岸ジオパークに認定されている丹後半島北側の海岸。ここにはまるで屏風のような「屏風岩」(京丹後市)もあり、丹後の絶景が広がります

山陰海岸ジオパークに認定されている丹後半島北側の海岸。ここにはまるで屏風のような「屏風岩」(京丹後市)もあり、丹後の絶景が広がります

伊勢神宮と深い関わりがある神社【宮津】丹後一宮「籠(この)神社」

「元伊勢」と呼ばれるほど伊勢神宮と深い関わりがある「籠(この)神社」(宮津)。本殿にある「五色の座玉」は、伊勢神宮とここだけにしかありません。さらに日本最古の系図として国宝に指定された「海部氏系図」などの宝物もあります。

籠(この)神社

丹後の食とおみやげ・体験スポット

食

漁業も盛んに行われている丹後。その雄大な海からは、カキやアワビなどの新鮮な魚介類が多く採れます。旅のひとときに美味しい海の幸を堪能するのもおすすめです。

イメージ
イメージ

写真は2点ともイメージ

おみやげ

丹後のお土産にちりめん細工が欲しくなるところ。丹後ちりめんで織られた絹のタオルやパフ、がまぐちなど種類は豊富です。さらに狛猫がある金刀比羅神社の近くには「狛猫もなか」も。ネコ好きにはたまりません。

田勇機業で作られた丹後ちりめん製品

田勇機業で作られた丹後ちりめん製品

御菓子司 大道の狛猫もなか

御菓子司 大道の狛猫もなか

体験

与謝野町・ちりめん街道にある「旧尾藤家住宅」は、生糸・ちりめん商家で栄えた尾藤家の旧邸宅です。現在は丹後ちりめんの着物の着付け体験などを楽しむことができます。

「旧尾藤家住宅」の外観

「旧尾藤家住宅」の外観

丹後ちりめん着付け体験

丹後ちりめん着付け体験(イメージ)

「絆」が「継がれる」街・丹後 〜300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊〜

 この街を歩くと「絆(キズナ)」という字や「継ぐ」という文字が「糸偏(イトヘン)」であることがうなずけます。家族と同居し、育てた「蚕(カイコ)」が生み出す一筋の糸を何度も煮て、捻って、織るといった気の遠くなる工程と情熱をかけ人が幸せになる「衣=服=福」を300年に渡り、紡ぎ続けてきた地がここ丹後にあります。今も耳を澄ませば「ガッチャコン、ガッチャコン」の機織り(ハタオリ)の音。人の幸せの足音にも聞こえるこの街の音を聞きに訪れませんか?「ちりめん」だけでなく、目を見張る世界ジオパークに認定された海岸線の景観、旬の日本海の海産物の味覚、大きく息を吸えば潮の香り、「ちりめん」の肌触り、京都府・丹後には人の五感に心地の良い刺激が溢れています。いにしえには大陸との交流の表(オモテ)日本だった奥深い文化も満喫できます。ご来訪お待ちしております。

クラブツーリズム株式会社
京の旅デザインセンター顧問
宮本 茂樹

このページの先頭へ

クリア

決定