クラブツーリズム TOP>「旅の友」Web版【東日本版】> 日本遺産の地に生きる 〜第2回〜
火山が生み出した天然ガラスの黒耀石。今日のような運送手段がなかったはるか昔、矢じりやナイフの原料として東北から関東一円、関西地方へと広域に流通していたのが、長野県の霧ヶ峰〜八ヶ岳を中心とした中部高地産の黒耀石でした。星糞(ほしくそ)峠、星ヶ塔といった標高1500mを超える地で、キラキラ光る良質の黒耀石が大量に産出されていたのです。原産地の麓には、大量の黒耀石が集められた縄文時代の大きなムラの跡が点々と存在します。そうした遺跡から、当時の文化を示す芸術的な縄文土器が発見されています。森の草木や動物を生き生きと描いた土器に、精巧な黒耀石のナイフや矢じり。そして大地を踏みしめるように立つ女神のような土偶。そこには「ものづくり」を得意とする日本列島の文化のルーツがありました。
「日本遺産」とは、文化庁が認定した日本の文化・伝統を語るストーリー。2018年度までに67のストーリーが認定されました。
地域の歴史的魅力や特色を国内外へ発信することや地域活性化を目的としています。
小学生のころに畑で拾った黒耀石に興味を持ち、国内屈指の黒耀石産地である長野県の長和町に移住してきたという学芸員の大竹幸恵さん。「自分の小遣いを使った初めての旅行先が、霧ヶ峰北麓の男女倉(おめぐら)でした」。この地で調査・研究をつづけ、旧石器時代や縄文時代の人々がどのように黒耀石を手に入れていたのか、その実態の解明に尽力。一方で、子どもたちに向けた体験教室にも力を入れています。「地元の素材を使い、地域のお母さんたちと手作りで体験教室を開いています。お父さんやお母さんも一緒になって楽しめるミュージアムにしたい」とのこと。2017年には、研究とユニークな体験学習が評価され、日本イコモス賞を受賞しました。「夏には黒耀石のふるさと祭りも開催します。体験ミュージアムに、ぜひ来てください」(大竹さん)
黒耀石体験ミュージアム学芸員 大竹幸恵(さちえ)さん
霧ヶ峰高原の東北端に位置する「星糞峠」。世界最古級の黒耀石の鉱山跡で、現在では史跡公園として公開されています。縄文時代の人々の活動の痕跡を見ることができます
火山から噴出したマグマが急激に冷やされることでできたガラス質の黒耀石
繰り返し採掘がおこなわれていたことが伺える、複雑な黒耀石採掘跡の地層
動物の水飲み場となった八島ヶ原湿原。縄文人の狩猟の場となっていました
星糞峠には、円形に近いクレーターのような窪みが200近く確認されています。この丸い窪みは、縄文時代の黒耀石採掘跡。割れ口が鋭く加工しやすい黒耀石は、石器の原料として人気が高かったため、縄文時代の人々は、このエリアで何代にも渡って黒耀石を採掘してきました。採掘跡が大規模で複雑なため、採掘がどのくらいの期間続いたのか、継続して採掘されていたのかなど、全貌を明らかにするには500年以上の調査が必要といわれています。
また、このエリアの黒耀石は3万年を遡る旧石器時代から関東一円まで流通していました。素材だけでなく、高度な製作技術が必要な槍先形尖頭器などの製品が運ばれていた痕跡もあり、原産地と消費地の間で製作の工程を分かち合うなど、一定の流通のシステムがあったことが分かっています。
星糞峠の黒耀石原産地遺跡の麓にある「黒耀石体験ミュージアム」では、石器作りや勾玉作り、縄文織りなど、子供と大人が一緒になって学べる体験教室を開催しています。自然の素材でさまざまな道具を作りだした縄文人の工作にチャレンジしましょう!
骨角器(釣り針)作りは上級者向け!
可愛らしい、小さな磨製石斧作り
黒耀石を削り縄文人さながらの石器作り
標高約2000mの美ヶ原高原は星がきれいに見えるスポット。昼間は星糞峠で黒耀石の輝きを、夜は美ヶ原で星観測という旅も趣があります。
慶長七年(1602年)の中山道の設定により設けられた宿場。江戸から明治時代にかけて栄えた町並みが今も残り、風情があります。 (写真は和田宿本陣)
長野県長和町、国道152号線沿いにある道の駅。名物のダッタンそばやニジマスのから揚げなど地元の美味しいものや工芸品が手に入ります。
※黒耀石(黒曜石):常用漢字では「曜」の字を用いますが、長和町では地元で愛着のある「耀」の字を地域の
歴史として大切にしています
長門牧場の濃厚ソフトなど、長和町ではソフトクリームの食べ歩きがおすすめ!
ほのかに甘い苦味の信濃霧山ダッタンそば ※撮影協力/ウォールデン
マルメロ入りの餡をふわふわのカステラ生地で包んだ信州銘菓「マルメロ」
長野県芽野市の尖石(とがりいし)縄文考古館に展示されている国宝の土偶、「縄文のビーナス」(左)と「仮面の女神」(右)。なぜ作られたのか、なぜこのような形なのか。その謎を解き明かすべく、さまざまな角度から研究が続けられています
「仮面の女神」の出土状況を再現した模型(尖石縄文考古館)
縄文文化の繁栄を物語る数々の大型深鉢土器(尖石縄文考古館)
落葉樹の森に竪穴式住居6棟が復元され、縄文人の暮らしが体感できる与助尾根遺跡
諏訪湖を中心とする霧ヶ峰高原〜八ヶ岳山麓では、今から約5000年前、縄文文化が花開いていました。茅野市の棚畑遺跡や中ッ原遺跡では、流れるような隆起を持つ縄文中期の土器や、磨削(すりけし)縄文が見られる後期の土偶など、縄文早期から晩期までの土器・土偶が何点も出土しています。
数ある出土品の中でも、特筆すべきは尖石縄文考古館に展示されている2点の国宝の土偶。神秘的で人間味あふれる「縄文のビーナス」(1986年棚畑遺跡出土、1995年国宝指定)と、光沢が出るほど磨かれ仮面を被ったような姿の「仮面の女神」(2000年中ッ原遺跡出土、2014年国宝指定)です。太い足でどっしりと大地を踏みしめる姿は、圧倒的な存在感を放ちます。
尖石縄文考古館では、縄文時代の服(複製)を試着したり、「さわれる”縄文のビーナス”」と題した本物と同サイズ・同重量の土偶のレプリカを手に持ってみたりと、貴重な資料に触れることができます。実物大の「仮面のビーナス」を作る体験講座(有料)や黒曜石で槍と矢じりを作る教室(有料)なども随時開催。作って触って、縄文文化を学びましょう。
さわれる”縄文のビーナス”
試着できる縄文人の服(複製)
旅に生きる私は、旅の始まりを縄文時代であると考えます。縄文時代より前の旧石器時代には、人々は台地上に住むことが多く、狩猟採集のための移動はあっても、帰るべき家が存在しなかったそれらの移動は旅とは呼べません。それが、縄文時代(新石器時代)に入り、竪穴式住居なる「家」という拠点をもつことによって、旅することを覚えたのです。
私は人類の進化は旅による発見と気づきの歴史であると考えています。そこで、縄文人は黒曜石を発見し、その石質に気付き、様々な道具を作ったことによって優れた縄文文化を築いたのです。透き通る宝石のような黒曜石の輝きには星空のイメージがあり、日本遺産の「星降る中部高地の縄文世界」では、今も昔と同様に美しい星空を鑑賞できます。
また、この地で出土した有名な「仮面の女神」や「縄文のビーナス」の土偶を観察すると、縄文時代はやはり女性が生命の源で、感謝の対象として崇敬されていたと推定できます。すなわち、縄文時代は女性の勤勉さと充足・安定を尊ぶ文化で、男性にとっての労働である狩猟闘争も認識しつつ、価値を見出していた平和な時代でした。それが弥生時代となり、稲作文化による階級社会が生まれ、南蛮文化や明治以降のヨーロッパ文化によって日本は近代化しましたが、日本人の原点はやはり旅の始まった縄文時代かと思います。
クラブツーリズム株式会社
テーマ旅行部顧問 黒田尚嗣