バルト3国特集
バルト三国(エストニア・ラトヴィア・リトアニア)旅行・ツアー・観光なら、クラブツーリズムにおまかせ!添乗員付きのツアーならしっかりサポート!世界遺産のタリン、リガ、ヴィリニュスの旧市街、ルンダーレ宮殿や、トラカイ城、カウナスにある杉原千畝記念館へ訪れるツアーをご紹介しています。ツアーの検索・ご予約も簡単です。
観光地情報
バルト三国ってどんな国?
中世の薫りを色濃く残し、いつの時代にも、時に激しく、時に穏やかに風が吹き続けてきたエストニア・ラトヴィア・リトアニアのバルト三国。バルト海の東岸に南北に並ぶこの3つの国には、深い森・清らかな湖などの自然が広がり、古城や教会が点在し、美しい風景を織りなしています。中世の息吹を感じることができる街並みへ1歩足を踏み入れれば、3ヵ国の歴史や伝統に出会うことができます。四季折々の美しさを魅せるバルト三国へ是非皆様もお越しください。
エストニア・ラトヴィア・リトアニアで独立運動の一環として行われた平和的デモンストレーション「人間の鎖・バルトの道」
1989年ロシア(旧ソ連)からの独立を求めるバルト三国の人々は、手と手を握り、ヴィリニュス~リガ~タリンを結ぶ「人間の鎖」を作りました。人々の独立への呼びかけにより、ヴィリニュスの大聖堂の広場~タリンの歌の原まで約600kmにわたって人間の鎖は伸びました。参加者はおよそ200万人。人々が連帯して世界に訴え、そして歴史を変えた記念すべき場所です。
エストニア
中世の物語を紡ぐおとぎの国
フィンランド湾に面し、バルト三国では最も北にあるエストニア。フィンランドの首都ヘルシンキからも非常に近くフェリーで行けることもあり、近年人気の観光地として注目されています。中世の面影が残るタリンのかわいらしい旧市街は必見!ぜひ知られざる魅力を持ったエストニアを訪れてみて下さい。
【世界遺産】タリン旧市街
まるで世界遺産の絵葉書のような街並み
中世の面影が残る、タリン旧市街のシンボルはラエコヤ広場と旧市庁舎。旧市庁舎は14世紀半ばに建てられた、北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式の市庁舎です。広場の周辺はレストランやカフェが並びに常に賑わっています。トームペアこと山の手の展望台からは、世界遺産に指定されているタリンの旧市街が見下ろせます。塔が立ち並ぶ様子は、まさに「絵葉書」の様です。
無形文化遺産 キヒヌ島
世界一スカートを愛する島
バルト海に浮かぶエストニアのキヒヌ島は周囲15キロメートル。200人が暮らす小さな島です。この島で男たちは、昔から船乗りとして遠洋に出かけていました。その間、農作業から冬の雪かきまで、すべてを担うのは女性たち。女性たちが、何百年にも渡って受け継いで来た独特の文化が無形文化遺産に指定されています。赤ん坊から年寄りまですべての女性がはくスカートは、人生の節目ごとに色を変えていく、まさに女性の一生を象徴するもの。厳しい島の生活を支える女性たちの誇りです。生活の知恵として母から娘へ受け継がれる歌は500以上、そしてすべて女性たちの手で執り行われる葬儀等。船乗りの男性が島に帰省するまで島を守り抜く、島の女性たちの想いに迫ります。
ラトヴィア
森と湖に囲まれたバルトの真珠
バルト三国の真ん中に位置し、中世の残る町並みが美しく「バルト海の真珠」とも呼ばれています。ラトヴィアはかつて貿易の要所として栄えたこともあり、独自の文化を垣間見ることが出来ます。首都リガの旧市街や、バルトのヴェルサイユ宮殿と呼ばれるルンダーレ宮殿など、見所も多い国です。
【世界遺産】リガ旧市街
ルンダーレ宮殿
バルトのヴェルサイユ宮殿
バルトのヴェルサイユ宮殿、ともいわれるバロック様式の見事な宮殿。建築家はロシアのエルミタージュ美術館を手がけた、イタリア人のラストレッリ。「黄金の間」「白の間」など豪華なお部屋が続きます。
ユーゲントシュティール(芸術様式)
ヨーロッパで流行した新芸術様式
19世紀後半ヨーロッパで流行した新芸術様式。ユーゲントシュティールとはドイツ語読みであり、フランス語でアール・ヌーボー、英語ではモダンという。モンタージュ映画で知られる巨匠セルゲイ・エイゼンシュテインの父、建築家のミハイル・エイゼンシュテインが手がけた独創的な作品が多数残っている。
リトアニア
3,000に及ぶ湖と太古の森が広がる美しい国リトアニア。バルト三国の中では最も南にあり、1番大きな国です。とは言っても北海道の約8割程度の国土です。
見所の多い国ですが、内陸部に開かれた首都ヴィリニュスの旧市街や、日本のシンドラー杉原千畝ゆかりの地「杉原千畝記念館」はぜひ訪れたいスポットです。
【世界遺産】ヴィリニュス旧市街
カトリックと異文化の十字路
バルト三国の中でも最も南に位置する深い緑に囲まれたリトアニアの首都、ヴィリニュス。
昔から東西欧州の接点としてさまざまな人種が住んでいたことから、カトリックと異文化の十字路と言われています。また街を歩くと多様な建築が共存する旧市街の中に教会があまりに多いことに驚くはず。
トラカイ城
碧い空と赤い古城
青い湖に赤レンガの古城が映える美しい観光地。30以上の湖と森に囲まれ、自然公園として景観も保護されています。お城はかつてトラカイが首都だった14世紀~15世紀に建築されたゴシック様式。現在城の内部は博物館となっており、かつてのポーランド・リトアニア連合としての全盛期、少数民族や中世の戦いの歴史の展示物などを見ることができます。晴れた日には、碧い空と赤い古城のコントラストが一段と映え、まるで絵葉書のような美しさ。
無形文化遺産 十字架の丘
自由と信仰の想いが溢れる聖地
高さ5m以上の芸術的な十字架からロザリオまで、多種多様の十字架が集まってできています。かつてロシア(旧ソ連)に長く支配されてきたリトアニアでは、十字架が抵抗の象徴でした。今ではカトリックの聖地として多くのリトアニア人が訪れ、十字架を捧げては帰っていきます。まさに自由と信仰の想いが溢れるリトアニアの聖地です。1993年には当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世もこの地に訪れ、祈りをささげました。
杉原千畝記念館
今でもリトアニアで敬愛される日本のシンドラー
1900年(明治33年)1月1日生まれ、「日本のシンドラー」と呼ばれる杉原千畝は、第二次世界大戦中にリトアニアのカウナス領事館に赴任していた外交官でした。当時、ナチス・ドイツによりユダヤ人への迫害があり、ヨーロッパに安住の地は無くシベリアを経由して第3国へ逃れるしか助かる可能性のある方法がありませんでした。そのために必要だったのが、日本の通過ビザでした。当時外交官であった杉原千畝が政府の指令に背きながら日本の通過ビザを発給する決断を下します。多いときには1日300通発行した「命のビザ」によって救われたユダヤ人の命はおよそ6000人といわれています。1985年イスラエル政府より、ユダヤ人のためにつくした外国人に与えられる名誉ある賞『ヤド・バシェム賞』を日本人として初めて受賞しました。彼の記念碑・記念館、彼の肖像画の切手が作られ、彼の名前のついた「スギハラ通り」も存在します。今でもリトアニアで最も尊敬を受けている日本人のひとりです。
かつて命のビザが発行された日本領事館が現在は杉原千畝記念館として保存されています。館内には杉原千畝を記念したグッズや展示室があり、彼の生涯をまとめたビデオを観る事ができます。実際の執務室の復元部屋で記念撮影をすることも!
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