イスラエルの観光地・名所スポット

イスラエルの観光地・名所スポット イスラエルの観光地・名所スポット

イスラエル旅行・ツアー・観光なら、クラブツーリズムにおまかせ!添乗員付きのツアーだから安心で快適です。イスラエルの観光地情報やよくあるご質問、おすすめのツアーをご紹介。ツアーの検索・ご予約も簡単。

観光地情報

担当者が語るイスラエルの魅力

地中海に面した国、イスラエルはどこを訪れても奥深い歴史で溢れています。
目抜き通りを中心に整然と並ぶ移民の都市・テルアビブの白い街並みや、自然の美しいガリラヤ湖周辺、シンメトリーなバハーイー教の聖地・バハーイー廟、悲劇の残るマサダ要塞、旅のハイライト・3つの宗教の聖地エルサレム。ツアーではその魅力をあますところなく紹介します。また、死海では浮遊体験をお楽しみいただけます。写真撮影用に新聞・雑誌をお忘れなく!力を抜くだけで、体がプカっと浮かぶ感覚はなんといえない不思議な気分になることでしょう。
食料自給率が100パーセントを超えるイスラエルでは、毎食たくさんのお野菜や果物がでてきます。お食事はビュッフェ中心なのでぜひ色々なお料理をお試しください♪
探究心をくすぐる国・イスラエルへ、皆様のご参加をお待ちしております。

イスラエル担当:百合野

世界遺産エルサレム旧市街と城壁

エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と複数の宗教の聖地として崇められる地として古くから知られています。
神殿の丘には、イスラム教のモスク「岩のドーム」があり、そのすぐ側にユダヤ教徒が祈りをささげる「嘆きの壁」が立っていたり、近くのトンネルを抜ければキリスト教徒たちが十字架を背負ってイエスと同じ道をたどる姿が見られる「ビアドロローサ(悲しみの道)」につながるなど、それぞれの宗教が共存しています。

聖墳墓教会(イメージ)

聖墳墓教会(イメージ)

万国民の教会(イメージ)

万国民の教会(イメージ)

正統派のユダヤ教徒(イメージ)

正統派のユダヤ教徒(イメージ)

ビアドロローサ(イメージ)

ビアドロローサ(イメージ)

エルサレム街の様子(イメージ)

エルサレム街の様子(イメージ)

教会ドーム(イメージ)

教会ドーム(イメージ)

神殿の丘(TEMPLE MOUNT)

丘の上にはイスラム教のモスク「岩のドーム」が建っています。そのすぐ側にユダヤ教徒が祈りを捧げる「嘆きの壁」が立っていたり、近くのトンネルを抜ければキリスト教徒たちが十字架を背負ってイエスと同じ道をたどる姿が見られる「ビアドロローサ(悲しみの道)」につながるなど、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教、それぞれの宗教が共存しています。古くはソロモンの神殿があった場所とされ、ダビデが神の契約の箱を置いた場所とも言われています。新約聖書によるとイエスが十字架上で絶命したときに、神殿の至聖所の幕が真二つに切り裂かれたという話が残っています。

岩のドーム(DOME OF THE ROCK)

イスラム教において、第3の聖地となっており、この岩のドーム(モスク)はイスラム教徒にとって非常に重要な役割をもっています。かつてはエルサレム神殿内にあったとされています。この建物は預言者ムハンマドが夜の旅(イスラー)に旅立ち、またアブラハムが息子であるイサクを犠牲に捧げようとした場所として信じられる「聖なる岩」を取り囲むように建設されました。大理石とトルコ製のタイルによって装飾された外観が美しく必見です。イスラム教の信者のための建物なので入場はできません。ここは、イスラム教の開祖であるムハンマドが、天使ガブリエルに導かれて昇天したときに残された足跡のついた聖なる岩を奉っている記念堂です。

嘆きの壁(WAILING WALL)

神殿の西側に当たるので別名「西の壁」とも呼ばれています。この壁はヘロデ王が建てたユダヤの神殿の外壁の一部で現在のユダヤ人にとって最も神聖な場所となっています。1948年のイスラエル独立戦争で嘆きの壁はヨルダン領となり19年間にわたりユダヤ人がこの壁に近づくことが禁じられました。1967年にイスラエル軍の手でこの壁が再びユダヤ人のものとなりました。以来この壁にはどの宗教の信徒も自由に訪れることができます。現在壁の高さは約18m、長さ60m、地中にはまだ19層の石段が約21m隠れています。嘆きの壁は右側が女性用、左側が男性用の祈り場です。男性の場合、頭を覆うものが必要です(無料の貸し出しもございます)。注意点としては土曜日(安息日)やユダヤ教の祭日には壁の前で写真撮影や喫煙、携帯電話を使用することが禁じられています。またよく見ると壁の石と石の間には、たくさんの願いごとの書かれた紙が挟まれています。

最後の晩餐の部屋(HALL OF LAST SUPPER)

イエスがユダヤ教の指導者たちによってとらえられる前夜に、イスカリオテのユダを含む弟子たちとともに食事をし、ユダの裏切りを予言した場所です。中は非常に殺風景で、レオナルド・ダヴィンチの作品とは似ても似つかない雰囲気があります。

ダビデ王の墓(TOMBS OF KING DAVID)

1948年から1967年の六日戦争までユダヤ人は嘆きの壁の前で祈ることを許されなかったために、ここはユダヤ人にとって最大の巡礼地でした。石棺はダビデの星が刺繍されたビロード布に覆われ継承者である22人の王を表す22のシルバーの聖書を収めた経筒で装飾されています。

マリア永眠教会(CHURCH OF THE DORMITION)

地下聖堂に降りると桜の木と象牙で作られた永眠するマリア像が横たわっています。

鶏鳴教会(ST.PETER IN GALLICANTU CHURCH)

ゲッセマネで捕らえられたイエスが石段を通ってここに連行され地下の牢獄に留置されながら最後の一晩を過ごした場所です。教会の地下に牢獄があります。悲しい歴史を持つ教会ですが、それとは対照的にモダンで明るい場所です。ここから岩のドーム、オリーブ山、ケデロンの谷、ダビデの町と旧市街の南部が一望できます。

ビアドロローサ(VIA DOLOROSA)

「悲しみの道」を意味するビアドロローサは、イエスがローマ総督であったピラト邸(第1留)で死刑判決を受け、ゴルゴダの丘(聖墳墓教会内/第14留)に至るまでを十字架を背負って歩いた全長約1kmの悲しみの道です。観光をしていると、キリスト教団体がイエスがしたことと同じように大きな十字架を背負い、同じ道をたどって巡礼している姿がよく見られ、エルサレムを聖地とするキリスト教徒にとって重要な場所であるとわかります。

ビアドロローサ(イメージ)

聖墳墓教会(イメージ)

ビアドロローサ看板(イメージ)

第1留:ピラトの官邸
ビアドロローサはここからスタートします。イエスが総督ピラトに裁かれた場所です。現在のアラブ教徒たちのオマリーエ学校というところの校庭にあたります。

第2留:鞭打ちの教会
ここでイエスはいばらの冠をかぶせられ、十字架を背負わされたといわれています。

第3留:イエスが最初につまずいた場所
拷問により衰弱したイエスが十字架を背負ったまま倒れこんだ場所です。アルメニアの使徒教会のチャペルが立つところにあります。

第4留:マリアの教会
マリアがイエスを見た場所です。多くの巡礼者が祈りを捧げる場所でもあります。

第5留:シモンがイエスに代わり十字架を背負った場所
十字架を背負って歩けなくなったイエスの代わりに、近くにいたシモンがその十字架を背負った場所です。エルワド通りから右に入り再び左に向かったところにあります。

第6留:ベロニカの教会
現在、ギリシア正教のペロニカ教会となっています。十字架を背負って歩くイエスに、ベロニカが汗を拭くようにとヴェールを差し出して、受け取って汗を拭いた後に返してもらうと、そこにイエスの顔がうつるという奇跡を起こした場所です。

第7留:イエスが2度目に倒れた場所
ゴルゴダ丘に向かう途中にあります。イエスが2度目に倒れた場所として知られています。

第8留:聖ハラランボス・ギリシア正教会
こちらもゴルゴダ丘に向かう途中にあります。民衆と、嘆き悲しむ婦人たちを見て、イエスが「私のために泣くな、自分と自分の子供たちのために泣け」と説いたところです。

第9留:聖墳墓コプト教教会
コプト教会の入口です。イエスが3度目に倒れたといわれておりますが、聖書にはその記述はありません。

第10留~第14留:聖墳墓教会内
すべて聖墳墓教会内にあります。教会入口の小聖堂でイエスが衣服をはぎ取られ、チャペル内に十字架が建てられ、その十字架の上でイエスが息を引き取りました。その後、イエスは十字架から降ろされ、マリアがその亡骸をうけとります。最後、礼拝堂の奥の小さな部屋でイエスが墓に納められたといわれています。

主の祈りの教会(CHURCH OF THE PATERNOSTER)

イエスが弟子に請われて主の祈りを教えたといわれる教会です。教会内部の壁面のタイルには日本語を含む64ヶ国語で主の祈りが記されています。

主の泣かれた教会(SANCTUARY OF DOMINUS FLEVIT)

イエスがここで涙を流してエルサレムの運命を嘆き、その滅亡を予言したと伝えられています。その記述に基づき1955年に建てられた教会です。ドームの形は涙の粒をかたどっています。また教会内の窓の十字架と旧市街の岩のドームが象徴的に重なり合っています。

ゲッセマネの園(GARDEN OF GETHSEMANE)

「ゲッセマネ」とはヘブライ語で<油しぼり>という意味です。昔はこの周辺でオリーブ油精製が盛んに行われていました。ここはイエスがエルサレムで過ごしたときに祈りの場として好まれていた場所です。庭園内に残る8本のオリーブの木は当時から受け継がれているものです。

万国民の教会(CHURCH OF ALL NATIONS)

イエスが最後の夜を苦悶しつつ祈って過ごした教会です。
1919年にいろいろな国からの献金によって再建されたことから、万国民の教会と呼ばれるようになりました。外装の美しいモザイクの色使いに反して、内部は暗く、重苦しい雰囲気が漂っています。

南の壁考古学公園(JERUSALEM ARCHAEOLOGICAL PARK)

神殿の丘の南側に位置する公園で、エルサレム考古学公園とも呼ばれています。現在は閉ざされているフルダ門に続く階段は当時のイエスも歩いた道かもしれませんね。
少し西側へずれると、かつて神殿へ続く階段・ロビンソン・アーチがありますが、ローマ軍に破壊されその一部を残すのみとなっています。

世界遺産ベツレヘムの聖誕教会

イエスキリスト誕生の地とされるベツレヘム。ヘブライ語で「パンの家」を意味するベツレヘムは、イエスキリスト誕生の地として有名です。エルサレム郊外のパレスチナにあり、世界中から多くのキリスト教信者が巡礼に訪れる場所です。2012年には、この街の一番の見所である、イエスの聖誕教会が新しく世界遺産に登録されました。この教会はローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、アルメニア使徒教会の共同管理下にあり、昔イエスが生まれて飼い葉おけに置かれたとされる場所がある地下への階段前には、いつも多くの人が列をなしています。
損傷が激しく、世界危機遺産リストに登録されていましたが、損傷箇所の大規模な修復作業が行われたことで、2019年に危機遺産指定を解除されました。

ティベリア(ガリラヤ湖周辺)~イエス布教の地~

ガリラヤ湖クルーズ(イメージ)

ペテロ首位権の教会(イメージ)

山上の垂訓教会(イメージ)

ガリラヤ湖(SEA OF GALILEE)

ガリラヤ湖周辺は、イエスがキリスト教の布教活動を行った中心として知られています。パンと魚の奇跡の教会や、有名な説教の行われた「山上の垂訓教会」などイエスの起こした奇跡や布教活動のエピソードに関する場所が多く残されています。またガリラヤ湖はヨルダン川と繋がっており、ここで取れるティラピア(通称:聖ペテロの魚)は、使途である聖ペテロがもともと、この町の漁師であったことにちなんだ名前で、名物のひとつとなっています。また、イスラエルに独特のユダヤ人たちの共同農場「キブツ」も、このガリラヤ湖周辺を中心として発展したとされており、興味深い土地であるといえます。

パンと魚の奇跡の教会(CHURCH OF THE MULTIPLICATION OF THE LOAVES AND FISHES)

イエスが2匹の魚と5つのパンを祝福して増やし、説教を聞きに集まっていた5000人を満腹にさせたという奇跡にちなんで建てられた教会です。祭壇前の床に残るモザイクで有名です。

ペテロ首位権の教会(ST.PETER'S PRIMACY)

パンと魚の奇跡の教会の近くにあります。イエスがその後弟子となる、当時漁師であったペテロと出会った場所です。
教会の中の祭壇には岩がありましてイエスが弟子に食事を与えた場所といわれています。その岩はキリストの食卓ともいわれております。

山上の垂訓教会(CUSTODIA TERRA SANCTA)

「教会垂訓」というのは教えをたれることを意味します。また、教訓を後世の人々に残すことです。
1930年に完成した祝福の山に立つ教会が、この山上の垂訓教会です。弟子に求められ、イエスが説教を説いた場所です。
祝福の山と呼ばれる丘に建つ8角形の美しい教会です。山上の垂訓の8つの句はイエスの思想、教義の最も重要な部分がまとめられ教会内にラテン語で記されています。ガリラヤ湖の素晴らしい景色を見渡すことができます。

カペナウム(CAPERNAUM)

ガリラヤに戻ったイエスが宣教の地として選んだのがカペナウムです。イエスが宣教した当時のカペナウムは今は残っていませんが、4世紀頃のユダヤ教会堂(シナゴーク)の跡があります。

カナ・ナザレ

婚礼教会(WEDDING CHURCH)/ カナ

婚礼に参加したキリストが水を葡萄酒に変えるという最初の奇跡を称えて建設された教会。カナはワインの名産地としても知られています。

受胎告知教会(Basilica of the Annunciation)/ ナザレ

中東最大のキリスト教会で、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってイエスを身ごもることを告げられた場所です。彼女から生まれるのが、後のイエスキリストというわけです。のちほどご紹介いたしますが、イエスが十字架を背負って歩いた道であるビアドロローサの舞台にもなっています。1969年に再再建されておりますため現在教会の内部は古めかしいという感じではなく現代様式で非常にセンスの良い上品な雰囲気があります。

聖ヨセフ教会(St.Joseph's Church)/ ナザレ

受胎告知教会のすぐ隣の建物です。マリアの夫ヨセフが大工の仕事をしていた場所に建てられた教会です。
赤い丸の部分にはマリア、ヨセフそしてイエスの三人の像があります。ここには、フランシスコザビエルの右腕の遺骨の一部も納められています。

エリコ

エリコは海抜-260メートルに位置する、世界でも一番低い場所にある都市です。イエスが40日間断食をし、悪魔から誘惑を受けたといわれる「誘惑の山」の麓にあります。

テル・アッスルターン(TELL ES-SULTAN)

「最古の町」と言われ、約1万年前の住居や城壁の跡を見ることができます。何度も興亡を繰り替えしてきたため、何層にも分かれている都市遺構です。

クサル・アル・ヤフード(QASR AL-YAHUD)

ヨルダン川西岸のクサル・アル・ヤフードでは、洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受けたといわれています。川幅は大変狭く、対岸はヨルダンです。

死海

ヨルダンとイスラエルにまたがるリゾート地・死海では、死海遊泳を楽しめます。
死海は一年中温暖な地域として季節を問わず死海浮遊体験を楽しむための旅行者が訪れています。死海の成分を使った泥パックや石鹸など、美容業界でも非常に注目されおり人気があります。死海浮遊体験には水着・サンダルをご持参ください。泳げない方でも自然と体が浮いてしまうという不思議な死海での浮遊体験をぜひお楽しみ下さい。ただし、塩分濃度の高さから、傷口がある場合は非常にしみることがございますので、浮遊体験をされる際には絆創膏をご持参いただくことをお勧めします。

死海は、海面下400m(1.312フィート)に位置します。地球の表面で最も低い位置にあり、死海の広大な水面には、ヨルダン川をはじめ、多くの川が注ぎ込んでいます。水が死海に注がれると、行き場がなくなりそこに閉じ込められます。そこで水が蒸発し、濃厚で豊かな塩とミネラルの混合物が残ります。この混合物は工業、農業、医薬において上質な原材料として利用されています。

死海の最大の魅力は、なんと言っても温かく心地よい塩水にあります。海水の数十倍の塩分濃度でマグネシウム・ナトリウム・カリウム・臭素など、さまざまな塩化化合物を含んでいます。驚くほど温かく、大きな浮力をもっている海水は、ミネラルを豊富に含んでおり、古代からヘロデ王やエジプトの女王クレオパトラなどを魅了し、以来、多くの旅人を惹きつけてきました。死海を訪れた人は皆、ミネラル豊富な泥を堪能し、海面に浮いてイスラエルの穏やかな日差しを浴びながら、海水に含まれるミネラルを体に吸収します。

死海まめ知識

1.効能は2000年以上前のヘロデ大王の時代から認められていました。

2.長さ約80km(50マイル)、幅約14km(9マイル)です。北側の大部分はとても深く、場所によっては深度430m(1320フィート)にも達します。それに対して南側の入り江はかなり浅く、平均すると4m(13フィート)に満たないほどです。

3.塩分やその他のミネラル成分の含有量が非常に多く死海には動植物は生息していません。

4.水位は毎年30cm(1フィート)ずつ下がっています。イスラエルやヨルダンで工業、農業、家庭用に取水しているためです。科学者たちは、死海が2050年までに干上がってしまうと予想しています。

イスラエルの世界遺産と国立公園

テルアビブのホワイト・シティ~近代化運動

1920年代から1950年代にかけて建造された、白い建物が立ち並ぶ一画。目抜き通りであるロスチャイルド通りの両端にバウハウス様式の白い建物が整然と並んでいます。

アッコー旧市街

地中海に面した、城壁に取り囲まれた港湾都市。地中海貿易の拠点として栄えたため、様々な勢力により統治されてきました。十字軍時代における聖ヨハネ騎士団の医療事前団体の遺構が残っています。

ハイファ及び西ガリラヤ地方のバハーイー聖地群

バハーイー教の創始者、バーブが眠る廟。アッコーにあるバハーイー廟と合わせて世界遺産登録されています

ベイト・シェアリムの墓地遺跡:ユダヤ再興を示すランドマーク

2015年に登録された遺跡が古代ユダヤ人のネクロポリス(墓地遺跡)がベイト・シェアリム国立公園です。地下に作られた墓地には、ギリシア語を初めとして様々な言語が彫られており、当時の生活が窺えます。

パレスチナ:オリーブとワインの地~エルサレム南部バティールの文化的景観

段々畑が美しく広がる村には、今もローマ帝国時代の灌漑施設が残っています。イスラエルにより畑を分断する壁の建設計画が持ち上がりましたが、危機遺産への登録を機に保護が進められています。

聖書時代の遺丘群~メギド、ハツォール、ベエル・シェバ

ツアーでは最終戦争・ハルマゲドンの舞台といわれているメギド国立公園にご案内します。エズレル平原の南部にあり、かつては交通の要所としてその利権が争われました。複数に重なる層と都市遺構群の積み重なりです。

マサダ

『ユダヤ戦記』の舞台となった、ユダヤ戦争とユダヤ人の集団自決の地。切り立った崖の上に立つ要塞は難攻不落と言われ、国立公園となった現在はロープウェイを使って観光します。頂上からは、眼下に死海を見渡すことができます。

洞窟の地の小宇宙としてのユダヤ低地のマレシャとベイト・グブリンの洞窟群

ユダ王国時代のマレシャ、ローマ帝国時代の都市ベイト・グブリンを含む地域が国立公園となっています。地下には岩窟群が広がり、浴場、貯水槽、礼拝所跡などが当時の様子を伝えています。

人類の進化を示すカルメル山の遺跡:ナハル・メアロット/ワディ・エルムガーラ渓谷の洞窟群

ナハル・メアロットとワディ・エルムガーラの意味は同じで、洞窟群の渓谷と言う意味を持ちます。ネアンデルタール人の生活の様子が残る、貴重な遺跡です。

香料の道~ネゲブ砂漠都市

乳香や没薬などの香貿易を得意としたナバテア人の交易路です。アブダット国立公園などが含まれます。

ツィッポリ国立公園

ツィッポリはユダヤの王・ヘロデの時代に首都とされた地です。シナゴーグ跡には約1700年前の「ガリラヤのモナリザ」と呼ばれる美しいモザイク画が残っています。

クムラン国立公園

1647年に「死海写本」が発見された場所です。現在はイスラエル博物館の死海写本館にレプリカが保管されています。

カイザリア国立公園

地中海にせり出すように残る遺跡です。保存状態のよい円形劇場では今でもイベントが行われています。海沿いにはアーチがきれいな導水橋が残っています。

南部イスラエル

ネゲブ砂漠

イスラエル南部に広がる砂漠。長年の地殻変動と侵食によってできた窪地、ラモーンクレターがあります。幅は約10キロメートル、長さ約40キロメートル、深さ約500メートルの巨大なクレーターです。ネゲブ砂漠にあるエンアブダット国立公園には美しい渓谷があります。

エイラート

イスラエル最南端のリゾート地、紅海とエジプトとヨルダンに面した都市です。年間を通して高い水温が保たれているため、多種類の美しい珊瑚が生息しています。
近郊のティムナ渓谷国立公園ではキノコの形をした岩やアーチ状の岩などユニークな奇岩を見ることができます。

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