シルクロードの東西交易の中心地として、キャラバンが行き交うオアシス都市が文化を紡いできたウズベキスタン。サマルカンドやブハラ、タシケントの街々には、往時の面影が色濃く残り、訪れる者を歴史の旅へと誘います。「青の都」サマルカンドでは、独特な形と繊細な装飾が美しいイスラム建築が旅人を迎え、古都ブハラでは砂色の城壁を備えた古城が悠久の時を刻みます。タシケントでは、緑豊かな公園と現代的な建物が調和し、独自の風景を描き出しています。ウズベキスタンは、その豊かな歴史と文化で訪れる者の心を深く揺さぶります。
目次
- 【サマルカンド】イスラム美術の粋を集めた「青の都」
- レギスタン広場(サマルカンド)
- ティラカリ・メドレセ(サマルカンド)
- シャーヒジンダ廟(サマルカンド)
- ビービー・ハーヌム・モスク(サマルカンド)
- グリ・アミール廟(サマルカンド)
- ウルグベク天文台(サマルカンド)
- シャブ・バザール(サマルカンド)
- 【シャフリサーブス】英雄アミール・ティムールの故郷
- アクサライ宮殿(シャフリサーブス)
- 【タシケント】中央アジア最大の都市
- チョルス―・バザール(タシケント)
- プロフセンター(タシケント)
- バラク・ハーン・メドレセ(タシケント)
- 地下鉄駅(タシケント)
- 【ヒヴァ】二重の城壁に囲まれた文化都市
- イチャン・カラ(ヒヴァ)
- カルタ・ミナル(ヒヴァ)
- ジュマ・モスク(ヒヴァ)
- クフナアルク(ヒヴァ)
- 【ブハラ】学問・工芸・宗教の中心地「聖なるブハラ」
- カラーン・ミナレット(ブハラ)
- アルク城(ブハラ)
- ミル・アラブ・メドレセ(ブハラ)
- チャハル・ミナール(ブハラ)
- イスマイール・サマニ廟(ブハラ)
- スィトライ・マヒ・ホサ宮殿(ブハラ)
- ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ(ブハラ)
- ザラフシャン・カラクム回廊(ブハラ郊外)
- カラカルパクスタン(トプラク・カラ)
No.01 【サマルカンド】イスラム美術の粋を集めた「青の都」
青いタイルを敷き詰めた幾何学模様のイスラム建築と、抜けるような空の青が調和する古都サマルカンド。その美しさは「青の都」「サマルカンドブルー」などと称され、シルクロードの中心都市として栄えてきました。紀元前から文明の交差点として発展してきた街は、1220年にチンギス・ハーンの攻撃により廃墟となりました。街をよみがえらせたのは、ウズベキスタンの英雄アミール・ティムールです。ティムールはサマルカンドを帝国の首都とし、美術・建築技術の粋を集めてイスラム世界に名だたる都市へと復興したのでした。また、ティムールの孫のウルグベクの指導のもと、東洋の科学の中心地としても発展。市内にはこうした中世の建築物や遺跡がいくつも現存しており、2001年にはシルクロードの交易によって栄えた「サマルカンド-文化交差路」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
No.02 レギスタン広場(サマルカンド)
ウズベキスタンに行ったら、まず訪れたいのがレギスタン広場です。広場ではさまざまな文化イベントやフェスティバルが開催され、サマルカンドの文化と歴史を体感できます。また、夜にはライトアップされ、建物の美しさが一層際立ちます。広場には3つの壮大なメドレセ(神学校)が並んでいます。ウルグベク・メドレセは皇帝ティムールの孫、ウルグ・ベクによって建てられたもので、この広場の最も古いメドレセです。ウルグ・ベク自身も天文学者で、数学と天文学の中心地であるこの場所で、自らも教鞭を取ったといわれています。シェルドル・メドレセは門に描かれたライオンのモチーフが有名。偶像崇拝を禁ずるイスラム教において、独特の存在感を放っています。ティラカリ・メドレセは「金で装飾された」メドレセ。その美しさは、サマルカンドの繁栄を体現しているともいえます。
No.03 ティラカリ・メドレセ(サマルカンド)
レギスタン広場を彩る3つのメドレセのひとつ、ティラカリ・メドレセ。最も魅力的な特徴は、モスクの天井に施された金色の装飾です。幾何学模様やアラベスクといった伝統的なデザインが織り込まれ、細部に至るまで精巧に作られた天井は見る者を圧倒します。日中、陽光が降り注ぎ、その光を反射して室内全体が黄金色に輝く様子は、息をのむほどの美しさです。金色はイスラム建築において神聖さや豊かさ、天上の楽園を象徴する色とされています。ティラカリ・メドレセの金色の天井は、このモスクが神聖な場所であり、学びと祈りの場として、いかにこの地の人々にとって大切な場所であったかを物語っています。
No.04 シャーヒジンダ廟(サマルカンド)
シャーヒジンダ廟はサマルカンドにある歴史的なネクロポリス(墳墓群)です。豪華なタイル装飾と幾何学模様で飾られた廟群には皇帝ティムールの妻や親族、部下たちが祭られいて、サマルカンドの歴史を静かに見守っています。シャーヒジンダとは「生ける王」を意味し、イスラム教の布教で訪れた預言者ムハンマドの従兄弟であるクサム・イブン・アッバースの不死伝説によるものとされています。クサム・イブン・アッバースは、イスラム教の初期の伝道者として重要な役割を果たしました。彼の勇敢な行動と信仰は、後世のイスラム教徒に大きな影響を与え、サマルカンドのシャーヒジンダ廟は彼を称える重要な歴史的遺産となっています。
No.05 ビービー・ハーヌム・モスク(サマルカンド)
ターコイズブルーのドームと輝く壁面がひときわ目を引く、ビービー・ハーヌム・モスク。ウズベキスタンの古都サマルカンドに位置し、過去の富と栄光を今に伝える壮大な記念碑です。このモスクは、15世紀初頭に皇帝ティムールによって建てられました。彼の愛する妻ビービー・ハーヌムの名を冠したこの建物は、ティムールが1405年に亡くなるまでの間、彼の征服した広大なアジアの領土の象徴でもありました。巨大な門を飾る精巧な装飾文字、高くそびえる壁に敷き詰められたターコイズブルーと金色のタイル、その美しさは訪れる者を圧倒します。このモスクのタイルは、まるでサマルカンドの空そのものを閉じ込めたかのように鮮やかです。朝の光に輝くターコイズブルーは希望を、夕暮れには静かな祈りの空間を演出します。モスク全体が、時を超えた美しさと歴史の重みを感じさせます。
No.06 グリ・アミール廟(サマルカンド)
「王の墓」「支配者の墓」と訳されるグリ・アミール廟(グーリ・アミール廟、グリエミール廟とも)は、皇帝ティムールとその息子たちが眠る美しき霊廟です。神学校と聖職者の住居があったとされるこの地に、ティムールは戦死した孫ムハンマド・スルタンを偲んで墓を建てました。ティムール自身は故郷のシャフリサーブスに埋葬されることを望んでいましたが、彼の死後、後継者たちがその死を秘密にしたかったため、自らもここに葬られることになったのだといいます。青いドームが目を引くこの霊廟を完成させたのは、孫のウルグ・ベクです。内部は黄金色の装飾が施され、中心にはティムールの墓石が建てられました。しかしここにティムールの亡骸はなく、本当の墓石と亡骸はこの墓石の真下3メートルの所にあって、厳重に保存されているのだそうです。
No.07 ウルグベク天文台(サマルカンド)
ウルグ・ベクは、ウズベキスタンの天文学者、数学者、文人であり、ティムールの孫として生まれました。1908年にサマルカンドで発掘された円弧の半径が36メートルもある巨大な六分儀の天文遺跡はウルグ・ベクが1420年代に建設した天文台と判明、ウルグベク天文台と呼ばれるようになりました。ウルグ・ベクは天文学者たちを指揮して精密な天文観測を行い、天文表と約1000の星を含む「ウルグ・ベク星表」を作成しました。これはプトレマイオス星表以降、中世の星表として最も重要なものといわれています。太陽暦が初めて計算されたのも、このウルグベク天文台です。ウルグ・ベクは1年を365日6時間10分8秒と推測しました。この数値は現在の太陽暦とほぼ一致し、私たちが使用する暦の基礎となりました。
No.08 シャブ・バザール(サマルカンド)
東西文化の交差路であるサマルカンドは、バザール(市場)も魅力的です。市内中心部に位置するシャブ・バザールは、ビービー・ハーヌム・モスクに隣接していることもあって、観光客にも人気のバザールです。食料品に日用雑貨、お土産など、さまざまなものが売られていますが、目を引くのはその色彩です。店先にはカラフルな野菜や果物、ナッツ類に色鮮やかなスパイスがずらり。シルクロードの交易拠点だった地に立ち、活気あふれる商人や地元の人々の声に耳を傾けながら産品を見て回るだけでも、忘れられない思い出になるでしょう。
No.09 【シャフリサーブス】英雄アミール・ティムールの故郷
14世紀に中央アジアに大帝国を築いたアミール・ティムールの生まれ故郷。ティムール朝の首都サマルカンドに劣らず、豪華な建造物や霊廟が建築され、帝国第2の都市として栄えました。ティムールの夏の王宮であったアクサライ宮殿の遺跡をはじめ、ウルグ・ベクが建造した墓所や金曜モスクの複合施設ドルティロヴァット建築群、ティムールの墓となるはずだったドルッサオダット建築群など、文化的価値のある建築物群が評価され、2000年にシャフリサーブス歴史地区として世界遺産に登録されました。華やかだった往時のシャフリサーブスと異なり、いまは歴史の趣を感じさせる自然に囲まれた静かな街として人気です。
No.10 アクサライ宮殿(シャフリサーブス)
ティムールの母タキナホトゥンを偲んで建てられたアクサライ宮殿。「白い宮殿」を意味する荘厳な宮殿は73メートルもの高さを誇り、豪華な装飾が施されていました。特に有名なのは、石彫り職人ムハンマド・ユスフ・タブリーズィが手がけたアーチの装飾です。宮殿内には水の浄化、空気の循環、光と影の調和を考慮した芸術的な建築設計が施されていました。アクサライ宮殿の基礎には金の砂が使われており、その複雑な構造は強度と湿気対策を兼ね備えていました。残念ながら、宮殿の大部分は現在では廃墟となっていますが、一部の遺構は今もその壮麗さを伝えています。
No.11 【タシケント】中央アジア最大の都市
ウズベキスタンの首都タシケントは、中央アジア最大の都市です。ウズベク系、ロシア系、朝鮮系など多様な民族が共存する多民族都市です。その名は「石の街」を意味し、2000年以上前からシルクロードの交差点として栄えました。タシケントは旧市街と新市街に分かれ、歴史と近代性を象徴しています。新市街はティムール広場を中心に緑豊かで、近年は高層ビルも立ち並びます。旧市街はチョルスー・バザールを中心に16世紀のクカルダシュ・メドレセやジュマモスクがあります。1977年に中央アジアで初めて地下鉄が開通し、各駅の美しい装飾は芸術作品のようです。2018年に地下鉄駅構内での写真撮影が解禁され、駅巡りも楽しみの一つです。
No.12 チョルス―・バザール(タシケント)
チョルス―・バザールは、中央アジア有数の規模を誇る歴史ある市場で、「4つの道が交差する場所のバザール」という意味です。ランドマークである青いドームは屋内売り場で、その周辺にもバザールが広がっています。ここでは食料品から衣料品、日用品まで多様な商品が揃い、毎日多くの人々で賑わいます。ドーム内では肉、乳製品、お惣菜、はちみつなどが販売され、特に肉売り場は圧倒的なインパクトがあります。ドーム周辺には雑貨、クラフト、土産物の店が並び、チャイハナでウズベクローカルフードも楽しめます。バザールの北側入口には広場があり、見世物が開催されることもあります。礼拝用じゅうたんやタスビーフ(数珠)などの宗教用具を売るゾーン、プロフやシャシリクなどの料理が楽しめる食堂街も賑わっています。
No.13 プロフセンター(タシケント)
プロフは、中央アジアで広く親しまれている炊き込みご飯の一種で、その名は日本で知られる「ピラフ」の語源とも言われています。タシケントにあるプロフセンターは、ウズベキスタンのソウルフードともいえるプロフを堪能できる観光名所のひとつです。日本のピラフがバターで炒めたお米の料理として知られているのに対し、プロフは油焚きの手法を用います。人参、羊肉、レーズン、ひよこ豆などの具材と米を大量の油で炊き上げ、その豊かでエスニックな香りは食欲をそそります。プロフの味は店によって異なり、こってりとしたものからあっさりとしたものまで多様ですが、プロフセンターで提供されるプロフは、意外なほどさっぱりとした口当たり。ウズベキスタンの伝統と豊かな食文化を感じさせる特別な体験です。
No.14 バラク・ハーン・メドレセ(タシケント)
バラク・ハーン・メドレセは、ソ連時代に中央アジアのイスラム本庁が置かれていた場所で、16世紀にシャイバニ朝のバラクハーンによって建てられました。その美しいタイル装飾、大きなアーチ型の門、そして歴史的な価値から、多くの観光客を魅了しています。内部には、かつて学生たちが学んだ教室や祈りの場があり、イスラム学問の重要性を感じることができます。バラク・ハーン・メドレセが建つハズラティ・イマーム広場には、ハズラティ・イマーム・モスク、コーラン博物館、そして2022年に建てられたイスラム文化センターが集まっています。ハズラティ・イマーム・モスクは、タシュケントの金曜モスク(ジュマモスク)として、金曜礼拝時には多くの人々が集まり、祈りを捧げています。コーラン博物館では、7世紀頃の世界最古のコーランとされるウスマン・クラーンが展示されており、歴史と宗教に興味を持つ人々にとって貴重な場所です。
No.15 地下鉄駅(タシケント)
ウズベキスタンの首都タシケントの地下鉄は、世界で最も美しい地下鉄の一つです。かつては核シェルターとしての役割を持ち、軍用施設でもあったため、2018年まで写真撮影が禁じられていました。しかし、解禁後は240万人が利用する駅構内で、見事なアートや彫刻、色彩の美しさを楽しむことができるようになりました。地下鉄の駅は、幾何学的な模様が施されたものや、旧ソ連時代の面影を残すデザインが特徴です。シャンデリアや大理石を用いた装飾が施され、宇宙開発や産業の近代化を称えるアートが豊かに表現されています。また、多くの駅で大理石、ガラス、花崗岩、陶器が使われ、豪華な構内が作り上げられています。
No.16 【ヒヴァ】二重の城壁に囲まれた文化都市
ヒヴァは、サマルカンドやブハラに並ぶウズベキスタン屈指の観光地です。カラクム砂漠の北に位置し、古代から砂漠の出入り口として発展してきたオアシス都市。16世紀初頭にはヒヴァ・ハン国の首都として繁栄しました。外敵の侵入を防ぐため19世紀に二重の城壁が作られ、内側の城壁に囲まれた旧市街は「イチャン・カラ」、外側の城壁内は「ディシャン・カラ」と呼ばれています。イチャン・カラにはモスクやメドレセ(神学校)などのイスラム建築が立ち並び、1990年にウズベキスタン初の世界遺産に登録されました。「太陽の国」と呼ばれるホレズムの中心都市で、音楽や舞踊、工芸品などホラズム地方独特の文化も魅力です。
No.17 イチャン・カラ(ヒヴァ)
イチャン・カラは、歴史の息吹をそのまま残したような地です。城壁内がほぼ無傷で保たれていて、オタ・ダルヴァザ門(西門)をくぐると、まるで博物館に足を踏み入れたかのような錯覚を覚えます。中央アジアや西アジアにもイチャン・カラ(内城)は存在しますが、ヒヴァほど完璧な保存状態のイチャン・カラはありません。街全体が博物館のような都市であることから「博物館都市」と呼ばれています。街の中心には、ミナレットやメドレセ、モスクが建ち並びます。ぜひ訪れたいのは、アクシェイフ・ババの見張り台です。急な階段を登るとイチャン・カラ全体を一望でき、カルタ・ミナル、ジュマモスクのミナレット、イスラーム・ホジャ・ミナレットの三本のミナレットが建つ圧巻の光景が目の前に広がります。
No.18 カルタ・ミナル(ヒヴァ)
オタ・ダルヴァザ門(西門)をくぐると、最初に目に飛び込んでくるのは、鮮やかな青のタイルで覆われた未完成のミナレットです。この塔は1852年にその建設が始まりましたが、ムハンマド・アミン・ハーンの死去により1855年に工事は中断され、そのまま時を止めています。本来ならヒヴァで最も高い塔になるはずだったこのミナレットは、途中で工事が中断されたため、まるで真っ二つに切り裂かれたかのような形で立っています。その姿は、「カルタミナル(短い塔)」という愛称で親しまれています。ベージュの城壁との対比が美しいこのミナレットは、昼間は太陽の光を浴びてその青が一層輝きます。そして夜になると、ライトアップされ、昼間とはまた異なる神秘的な青の美しさを浮かび上がらせます。この塔は、時間を超えて変わらぬ美しさを持ち続ける、ヒヴァの象徴ともいえるでしょう。
No.19 ジュマ・モスク(ヒヴァ)
ベージュに青の色彩が施されたミナレットが空高くそびえるジュマ・モスク。内部には213本の木の柱が並び、いにしえの森に迷い込んだかのような幻想的な光景が広がります。柱一本一本には緻密な彫刻が刻まれ、最古のものは10~11世紀に遡ります。この彫刻はヒヴァの伝統工芸の象徴であり、現在も多くの職人たちに受け継がれています。砂漠の地で木彫りが発展したのは、かつて豊かに生い茂っていたニレの木のおかげだそうです。ジュマ・モスクの名は、イスラム教で重要視される金曜礼拝に由来します。10世紀に建てられ、18世紀末に現在の姿となったこのモスクは、多柱式建築の美の極致です。約3メートル間隔で立つ柱には、それぞれ異なる彫刻が施され、差し込む陽光が繊細な陰影を生み出します。その光景は、時間が止まった神秘の空間に足を踏み入れたかのような感動を与えてくれます。
No.20 クフナアルク(ヒヴァ)
17世紀に建造されたクフナアルク。その名は「古い宮殿」を意味し、19世紀に建てられたタシュハウリ宮殿(新宮殿)と区別して、そう呼ばれるようになりました。宮殿は城壁で囲まれていて、城壁内には王の公邸、モスク、ハーレム、火薬工場や造幣所まであり、さながら「町の中の町」のようだったといいます。現在のクフナアルクは19世紀に修復されたもので、イチャン・カラの西側の城壁と繋がっています。モスクやミナレットが立ち並ぶイチャン・カラを見渡せる「アクシェイフ・ババの見張り台」は、このクフナアルクから上ることができます。
No.21 【ブハラ】学問・工芸・宗教の中心地「聖なるブハラ」
「聖なるブハラ」として知られるこの街は、かつてイスラム世界の文化的中心地として栄えました。シルクロードの交易で賑わったブハラには、東西からさまざまな物や人が集まり、まさに文化と経済の交差点でした。13世紀にチンギス・ハーンの侵攻で一度は破壊されましたが、16世紀初めにブハラ・ハン国が建国され、再び首都として輝きを取り戻しました。現在でも、精緻なアラベスクを施した金属加工品や木工品、手織りシルクのイカット、刺繍が美しいタペストリーやバッグが並ぶ店々が軒を連ねています。ブハラにはタジク人も多く住み、ペルシャの影響を受けた風情が感じられます。街を歩けば、アラビアンナイトに出てくるような古い城やキャラバンサライが目に入り、中世イスラムの文化が息づいていることが感じられます。
No.22 カラーン・ミナレット(ブハラ)
タジク語で「大きい塔」という意味を持つカラーン・ミナレットは、1127年にカラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられました。高さ約46メートルのこのミナレットは、ブハラで最も高く、ブハラのシンボルとして知られています。このミナレットは、チンギス・ハーンの侵攻にも破壊されず、現在までその姿を保ち続けています。近くで見ると、統一された模様ではなく、少しずつ異なるデザインで装飾されており、当時の建築技術の高さがうかがえます。隣にはカラーン・モスクがあり、このミナレットとともにブハラの歴史と文化を象徴する重要な建造物となっています。訪れる人々は、その壮麗な姿と繊細な装飾に触れ、ブハラの豊かな歴史と文化を感じることができるでしょう。
No.23 アルク城(ブハラ)
アルク城は古代ブハラ発祥の地とされ、歴代のブハラ王の居城でした。13世紀にはチンギス・ハーンによる破壊を受け、再建と破壊を繰り返しましたが、現存する城は18世紀に再建されたものです。約4ヘクタールの城内には、かつて一つの街が作られていました。1920年にソ連軍とブハラ・ハン国の戦闘で焼失し、石造り部分のみが残っています。正面入口はかつて囚人収容所で、現在は人形で当時の様子が再現されています。内部にはモスク、博物館、王座の間があり、王座の間には王に背を向けることが不敬とされていたため、入口近くに壁が設けられました。博物館では古代から中世期までのブハラの歴史が学べます。アルク城前のレギスタン広場は、歴代の王に反抗した市民が処刑された場所であったといいます。
No.24 ミル・アラブ・メドレセ(ブハラ)
ミル・アラブ・メドレセは、ウズベキスタンのブハラに位置する歴史的な教育施設です。16世紀に建設され、中央アジアで最も重要なイスラム神学校の一つとして知られています。青いタイルで装飾された美しいファサードと壮麗な建築様式は、訪れる人々を魅了します。このメドレセは、かつて多くの学者や学生がイスラム教の教えを学んだ場所であり、現在もその歴史と文化的価値を伝え続けています。ユネスコの世界遺産にも登録されており、観光客にとって必見のスポットです。ミル・アラブ・メドレセを訪れることで、ブハラの豊かな歴史と文化に触れ、イスラム建築の美を堪能することができます。
No.25 チャハル・ミナール(ブハラ)
ウズベキスタンのブハラに位置するチャハル・ミナールは、その美しい建築と歴史的な意義で訪れる人々を魅了します。4つのミナレット(塔)を持つこの建物は、18世紀の建設当時はメドレセ(神学校)の一部でした。ミナレットにはそれぞれ異なるデザインが施され、青や緑のタイルがきらめく装飾で覆われています。ミナレットの上部には鮮やかな青色をした円錐形の屋根があり、細かな彫刻や模様がその美しさを一層引き立てています。旅行者は、チャハル・ミナールの壮麗な姿を背景に写真を撮り、歴史の趣と景観美を堪能することができます。周辺にはブハラの他の歴史的建造物や市場もあり、一日いても飽きることがありません。
No.26 イスマイール・サマニ廟(ブハラ)
中央アジアのイスラム建築の傑作とされているイスマイール・サマニ廟。9世紀にサーマーン朝の2代目君主イスマイールが父親のために建てたこの霊廟に、彼自身や孫たちも葬られました。サーマーン朝が滅びた後、土に埋もれていたためモンゴル軍などの侵略を免れ、1925年に発見されました。廟は、イスラム教とゾロアスター教の特徴を併せ持ち、4隅のドームや4つのアーチ、火を焚く祭壇はゾロアスター教の影響をうかがわせます。レンガの積み方だけでさまざまな模様が表現されていて、当時の幾何学がいかに優れていたかを教えてくれます。レンガの凹凸がくっきりと見える廟の内部も見ごたえがあります。
No.27 スィトライ・マヒ・ホサ宮殿(ブハラ)
スィトライ・マヒ・ホサ宮殿は、ブハラ・ハン国の最後の統治者アリム・カーンによって建設された夏の離宮です。細部にまでこだわった彫刻と装飾タイルに彩られた外観もさることながら、高い天井にシャンデリアが飾られた大広間は壁面のフレスコ画や繊細な装飾が美しく、玉座の間では豪華なタペストリーと調度品が目を引きます。舞踏の間の大理石の床は光を反射して幻想的な雰囲気を作り出し、王族や貴族が使用したプライベートルームが華やかなりし往時を偲ばせます。「月と星の宮殿」と名付けられたこの宮殿は、ロシアの建築家と地元職人によって建てられました。ロシア風の外観とイスラム風の内装が見事にマッチした唯一無二の宮殿として、この地の歴史をいまに伝えています。
No.28 ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ(ブハラ)
17世紀当初、キャラバンサライ(隊商の休憩所)として設計されたナディール・ディヴァンベギ・メドレセ。後に美しいメドレセ(神学校)に改装されました。ブハラ・ハン国の大臣ナディール・ディヴァンベギにより建造されたこの建物を見て時の王が「素晴らしいメドレセだ」と喜んだため、メドレセになったという逸話があります。このメドレセの大きな特徴は、正面の門に描かれた二羽の鳳凰と白い鹿、顔のある太陽の絵です。偶像崇拝を禁ずるイスラム教の建築物としては非常に珍しいもの。現在は定期的に伝統音楽や民族舞踊のディナーショーが中庭で開催されていて、訪問者にウズベキスタンの豊かな文化を体験させてくれます。
No.29 ザラフシャン・カラクム回廊(ブハラ郊外)
2023年に「シルクロード:ザラフシャン=カラクム回廊」が世界文化遺産に認定されました。この壮大な遺産は、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンの3カ国にまたがり、約866kmにおよぶ道のりを含んでいます。ザラフシャン川からカラクム砂漠へと続くこの回廊には、紀元前2世紀から16世紀までの交易の繁栄を示す多くの遺跡が点在しています。これらの遺跡は、シルクロードを通じた文化と宗教の交流の証です。そのうちのひとつ、バハウッディン廟は、イスラム神秘主義ナクシュバンディ教団を創設した14世紀の聖人バハウッディンが眠る霊廟です。バハウッディン廟は、中央アジアの人々にとってメッカに次ぐ聖地とされ、巡礼者が絶えません。女性用のモスクもあり、ウズベキスタンの重要なパワースポットとして知られています。シルクロードの歴史と文化を感じるこの回廊を、ぜひ訪れてみてください。
No.30 カラカルパクスタン(トプラク・カラ)
カラカルパクスタンは、ウズベキスタン内にある自治共和国で、広大な砂漠地帯とアラル海の一部を含みます。この地域は独自の文化と歴史を持ち、特にカラカルパク族の伝統や手工芸品が魅力です。トプラク・カラは、カラカルパクスタンにある古代の要塞都市遺跡です。紀元後3世紀から4世紀にかけて建設されたこの遺跡は、壮大な宮殿と防衛システムの遺構が特徴です。彫刻やレリーフは当時の芸術と宗教を物語り、発掘された陶器や装飾品は古代の生活様式を垣間見せます。トプラク・カラは、中央アジアの歴史と文化を探るための貴重な場所として近年注目を集めていて、歴史ファンや考古学愛好者にとって必見のスポットとなっています。
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